雇用・労働の調査研究
厚生労働省は毎年、雇用・労働に関する調査研究を委託し、その結果を報告書として公表している。調査研究のテーマは興味深いものが多い。報告書を新しいものから順に紹介すると、この5年については以下のテーマとなっている。
- 2021年3月:中途採用を通じたマッチングを促進していくための企業の情報公表の在り方
- 2020年3月:企業等の採用手法
- 2019年3月:外国人労働者の受入れによる労働市場への影響
- 2018年3月:シェアリングエコノミーが雇用・労働に与える影響
- 2017年3月:IoT・ビッグデータ・AI等の普及・進展による雇用・労働への影響
この調査研究の2016年3月の報告書テーマが「企業の雇用管理の経営への効果」だった。結論から言えば、働く環境が良くなると、生産性は向上し、業績も向上することが実証されたという内容だ。従業員が満足するとお客様も満足するということらしい。
数ある商品やサービスの中から自社の商品やサービスを「選択してもらう」ため、顧客満足の向上に取り組むことは、企業戦略の一つとして既に一般化しているといってよいだろう。顧客満足(Customer Satisfaction)を略して「CS」という。CS向上を目指す企業は、CS推進室やCSセンターといったCS部門を新設し、CSマニュアルを策定する。そして、従業員に号令をかけ、CSマニュアルを実践させる。
一方、従業員が日頃の業務に誇り・自信・喜びを持ち、心から顧客のためにサービスを提供する動機付けを、従業員満足(Employee Satisfaction)として、その略を「ES」という。
厚生労働省では、調査研究委託「企業の雇用管理の経営への効果」 の結果から、CSだけを重視する会社と、CSもESも重視する会社では、業績も人材確保も「差が出ている」ということをパンフレットにして配布している。
上図の通り、「ES:従業員満足度とCS:顧客満足度の両方を重視する企業」は、「CS:顧客満足度のみを重視する企業」と比べ、業績が向上し、人材確保ができている。CSばかりに目を向けがちだが、実はESを重視することで、もっと業績に好影響があるというのがこの調査の結論だ。CS向上のためにも、ESを充実させる必要がある。このことについてもう少し掘り下げてみたい。
ESが不十分な場合のCS
CS向上を図るためにはESを充実させる必要があるといっても、すぐには具体的なイメージが湧いてこない。そこで、ESが不十分な場合を例にとり、CSに与える悪影響をまず整理してみよう。ESなきCSをまとめてみると次のようになる。
上記の状態になると、最後には顧客からの信頼が低下するという事態に陥るだろう。
ESが低い場合に発生する問題
先述の表の繰り返しになるが、ESが低い場合には以下の問題が発生する。
- 業務に取り組む意欲が低下する
- 個々の従業員のスキルアップが見込めない
- 従業員の企業への定着率が低下する
- 部署、チーム内のチームワークが低下する
- 企業理念、経営方針が浸透しない
このような会社において、経営者が「今期はCSを徹底的に向上させることを目指す」といったとしても、従業員の足並みは揃わないだろう。仕事に対する満足度が低い従業員は「CS向上に取り組めと言われても忙しくなるだけ」などと考え、本気でCSに取り組まない。CS意識の低い従業員がトラブル時に、CSの考え方に基づいた対応ができるはずがない。おそらく「事なかれ主義」の「場当たり的な対応」に終わってしまう。
さらに先述の表から、ESが低い場合に起こる可能性として以下のものが挙げられる。
- 顧客に提案するサービス内容、質のマンネリ化
- 顧客に提案するサービスの企画力、提案力、開発力の低下
- サービスの生産性の低下
- ミスやトラブルの誘発
顧客は、会社に対して「担当者ごとに対応が異なる」「連絡が行き届いていない」と感じ、不信感さえ持つようになるだろう。
このようにESが不十分なままCS向上に取り組んだ場合、CS活動そのものが形式的なもので終わる可能性がある。「 CS向上を図るためにはESを充実させる必要がある 」というのはこういうことだ。
ESが高い場合の好循環
逆に、ESが高いと以下の1~8の順序が期待され、それらが循環するといわれている。
- 従業員の企業に対する満足度が高まる
- 従業員が企業や担当業務に誇りを持つ
- 従業員が企業の成長を願うようになり、企業にとってのメリットを考える
- 従業員が企業にとって一番重要な「顧客」を大切に考えるようになり、顧客のメリットを考えることに労を惜しまない
- 従業員が自らCSに基づいた行動をとるようになる
- CSが向上する
- 顧客に選ばれる企業となる
- 企業の利益が増大する
これが「ESをベースとするCSと企業利益の好循環」となる。
ES向上へのアプローチ方法
CS向上を図るうえでES向上は欠かせない。では、企業がES向上を図るための一般的な手順をみてみよう。それは以下の3段階で構成される。
- ESの意味とES向上を実現するための大前提を確認し、理解する
- そのうえで自社の現状をアンケート調査し、調査結果を基に分析を行う
- 現状を分析した結果に基づいて、自社がES向上を図るためのアプローチ方法を検討する
上記3段階について順々に解説する。
ES向上の大前提
企業がES向上を図るうえでの大前提は、以下の3点だ。
- ES向上は「従業員の不平不満を解消する」ことではない
- ES向上は従業員が日々意欲的に業務に取り組むことができるよう「動機付け」をすることである
- ES向上は「CS向上」を後押しし、結果的には企業の利益が増大する
ESアンケート調査を実施
大前提を確認したら、自社のES状況を把握するために全従業員に対してアンケート調査を実施する。アンケートの項目は、従業員の書きやすさや企業の集計しやすさなどを考慮し、5段階評価などの数値での回答を基本とするとよい。例えば「この会社の通信簿をつけてください」という内容で、以下の項目に5段階評価をつけてもらう。
- 企業理念
- 企業の方向性
- 経営者の姿勢
- 企業業績
- 自社の商品・サービスの品質
- 自分の業務内容
- 上司
- 部下
- 部署・チーム
- そのほかの社内の人間関係
- 賃金
- 労働時間
- 福利厚生
- そのほかの労働条件
この他、次のような簡単な質問もつけておくとよい。
- 最も高い評点が付いた項目について、その理由を記入してください。
- 最も低い評点が付いた項目について、その理由を記入してください。
こうしてアンケート調査を実施し、次に内容の分析を実施する。
現状分析しES向上要因を探る
日々意欲的に業務に取り組むための「動機」や「企業に対して満足を感じる要因」は、従業員一人一人によって異なる。例えば、「成果が賃金に反映されること」「上司や同僚に認められること」「やりたい業務に従事すること」「自分の業務に対する達成感」「仕事のしやすい職場の人間関係」などさまざまなものが考えられる。会社がこうした一人ひとりの欲求に対応することは困難だ。
そこで、アンケート調査結果から「ESを感じる」要因をいくつかのパターンに分けて考えてみよう。例えば、次のような分類だ。
アンケートを集計し、全従業員の満足度が最も低いと評価された項目について、企業は何らかのアプローチを試みる必要がある。もしくは、部署ごとにアンケート調査を行い、各部署で満足度が最も低いと評価された項目についてアプローチするといった方法も有効だろう。
アンケートの質問項目と上記要因分類表を組み合わせて、ES向上を図るためにアプローチするポイントを検討する。例えば、アンケートの結果、「最低評点」になったものが、企業理念や経営者の姿勢といったものであるなら、ESを高めるためにアプローチすべきポイントは、「やりがい」や「リーダーシップ」になるだろうし、「最低評点」が、賃金や労働時間であるなら、アプローチすべきは、「制度と評価」、「自己必要性」になるだろう。
分析に基づいたアプローチ方法
次に、分析結果に基づいてアプローチ方法を検討する。ここでは、以下の3つの方向からアプローチする方法について概要を述べておく。
- 会社の宣言:企業のESとCSに対する考え方と取り組み姿勢を宣言
- 制度見直し:人事評価、賃金、福利厚生などの制度的な見直しによるアプローチ
- 風土見直し:職場の雰囲気などの風土的な見直しによるアプローチ
まず第一に、企業としてのESとCSに対する考え方と取り組み姿勢を明確にし、従業員に宣言しなければならない。次に、宣言に基づいてESを実現するために、人事評価、賃金などの「制度的な見直しによるアプローチ」と、社風や社内の風通しのよさなどの「風土的な見直しによるアプローチ」を同時に行うことによって、ES向上が実現する。
どれかひとつだけの見直しではESを実現することは困難だといわれる。次のような問題が発生するおそれがあるからだ。
■制度見直しのみでの問題
成果主義制度の導入などの制度的な見直しを行ったとしても、それを受け入れない年功序列的な企業風土があると、「ES向上を図る新制度の導入」であっても、制度の見直しによって評価や賃金が上昇した若手従業員の居心地が悪くなってしまうなどの悪影響を引き起こす可能性がある。
■風土見直しのみでの問題
皆で協力し合い、成果を挙げた従業員に対して惜しみない賞賛を送ろうという雰囲気を職場内に浸透させたとする。しかし、それだけのことで従業員は「みんなが誉めてくれた、これからも頑張ろう」という気持ちを持続することができるだろうか。「こんなに成果を上げているのに、口で誉めてくれてそれで終わりなの?」といった不満が発生し、業務に対する意欲が低下してしまうかもしれない。
以上の観点から、ES向上を図るための「やりがい」「自己必要性」「制度と評価」「環境」「リーダーシップ」といった5つの要因について、各項目ごとの制度的な見直しによるアプローチと風土的な見直しによるアプローチの例と、それぞれのアプローチによって得られる効果例をみてみよう。
ESとCSの理想的な好循環
ESが不十分な場合を例にとり、CSに与える悪影響を前述の表にまとめたが、ES向上へのアプローチが成功した場合には、これとは逆の「良い影響」になると考えられる。悪影響の表にならってまとめると、以下になることが期待できる。
冒頭に触れた厚生労働省の調査研究委託「企業の雇用管理の経営への効果」 の結果から、CSだけを重視する会社より、CSもESも重視する会社のほうが業績が向上し、人材確保にも優位であることが、なんとなく理解できるものと思う。会社側から見たメリットは以下の3点だ。
- 選ばれる企業になる
- 企業競争力が高まる
- 企業の利益が増大する
経営者から見ると、組織運営に対して以下の5点に対する期待ができる。
- 業務に対する意欲が向上する
- 個々の従業員の能力が向上する
- 従業員の定着率が向上する
- 企業内のチームワークが向上する
- 経営理念や事業計画などが従業員レベルにまで行きわたる
これらのメリットは会社から見たときの話だが、顧客から見た場合には、以下の4つの「信頼感」につながる効果が期待できる。
- 企業と社内体制への信頼感
- サービスの内容、質への信頼感
- 企業としての一元化された方向性への信頼感
- 顧客と従業員を大切にする姿勢に対する信頼感
ES向上→CS向上→利益につながる
理想的なES:従業員満足度は、その向上がCS:顧客満足度向上につながり、CS向上の実現がさらなるESの向上につながること。
この好循環は結果的に、企業が顧客から信頼され、顧客から選ばれる企業となり、最終的には企業の利益増大につながるという「ESをベースにしたCSと企業利益の好循環」に向かう。CSだけ、ESだけではなく、すべてがつながるイメージを持たないと、こういった経営戦略や施策は長く続かない。