一回半ひねりとは
今回は、平川克美著『一回半ひねりの働き方~反戦略的ビジネスのすすめ』を取り上げたい。この本は、最初に単行本として出版されたあと、『ビジネスに「戦略」なんていらない』と改題して新書化され、その後に元のタイトルで新書として出版されている。
著者の平川克美氏については、今でも継続的に実施されている起業家表彰制度:EOY(アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー)の総合プロデューサーとして知った。私の世代にとっては、平川氏が経営していた秋葉原の「リナックスカフェ(Linux Café)」が有名だ。著者自身が翻訳サービス会社、米国のビジネスサポート会社など複数の会社の社長を務めており、そういった経験を踏まえた啓蒙書を10数冊書いている。この本は、そんな平川氏の最初の著作のはずだ。
世間では、ビジネスの戦略論やノウハウ、あるいはガバナンスといった話題が渦巻いているが、ビジネスとは、勝つとか負けるとか、戦略がどうのという問題ではなく、面白がってやるべきものがビジネスだというのが、平川氏の主張である。もちろんビジネスとは損得勘定なのであるが、当今はやりの「グローバリズム的な思考」「戦略思考」といったものが、ビジネスの面白さや精神を根こそぎなぎ倒していることに著者は疑問を抱く。
平川氏は、ビジネスは戦争であるという立場に与せず、労働が搾取されているとする自虐的労働観にも立たず、また、ビジネスが友好的なコミュニケーションの場だとする素朴な考えにも異議を唱える。そして辿りついたのが、「ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション」だったという。
一回半ひねりとは何か。そのことを説明するのが、この本の狙いになっている。
ビジネスの間接話法
著者が言いたいのは「ビジネスはお金のためだけじゃないよ、もっと崇高な目的があるはずだよ」ということではない。ビジネスをつまらなくさせている原因の一つは、「お金」とか「達成感」「経営者の自己実現」といった、明確な目的が事前にあるものだとする考え方そのものにあると思う。
書店のビジネスコーナーに並ぶほとんどのビジネス書は、どのように人を出し抜くかといったノウハウの羅列である。正直、ビジネス書って面白くない。ビジネス書の読者が見落としているのは、ルールブックをいくら読んでもゲームを楽しんだことにはならないという単純な事実だといえよう。
少子化にともなう人口減少によって、ロングスパンで見た日本経済は大きなパラダイムシフトの時を迎えている。つまり、経済が成長してゆく基本的な条件である総需要が縮小してゆくということである。これは日本の経済がはじめて経験する事態である。
総需要が縮小してゆくときに、どのように会社を経営すべきか、どのように雇用を維持してゆけばよいかといった問題の答えは、総需要が増加の一途をたどってきた過去の事例には存在していない。これまで未知を既知の事例に還元してゆくことを中心にしてきた役人や経営者、経営コンサルタントには「還元してゆく既知」がないかもしれないということに考えが及ばない。
ビジネスの現場は、虚構と矛盾に満ちた不思議な「場」を構成している。そこでは、個人の欲望が思いどおりに実現することはほとんどない。たとえば、お客様に対して個人的な親密感や嫌悪感を持っていたとしても、それをビジネスの世界に持ち込むことは「禁止」されている。どんな理不尽な上司の命令に対しても、それに対して直接的に反抗することはいけないことになっている。逆に、仕事ができるかできないかということで、学歴や年齢とは無関係に差別されるということがよくある。知性も教養もないけれど、車を売るという技術に関しては誰よりも秀でた者は、一流大学を卒業した秀才を部下としてこき使うことも許されている。
こういったビジネス上の禁忌は、誰かがどこかの委員会か何かで決めたものでもなければ、条文化されたものでもない。ただ、これを侵犯することでどのような事態を招来するのかといった経験の堆積のうえに築かれた暗黙のルールである。
その一方で、国籍などと違い、ビジネスの世界というのは、あくまで自分が自ら選択したり排除したりできる仮構としての世界でもある。
ビジネスの人間関係、ビジネスのコミュニケーションというものは、友人たちとのコミュニケーションや親子のコミュニケーションとは基本的に異なる水準のコミュニケーションである。相手のことは、間接的にしか知ることができない。この間接話法のことを、著者は「一回半ひねり」のコミュニケーション」と名づけた。1回半ひねりのコミュニケーションとは、コンピュータインターフェースのようなものである。お客と「わたし」の関係は、商品やサービスを介して向き合っている、いわば「たてまえ」の世界である。
しかし、インターフェースという境界の向こう側には、よく見えない「本音」がある。こちら側にも相手に見せてはいない「本音」がある。この関係をもう半歩ひねってみれば、商品やトークを媒介にしてお互いの本音が沈黙のコミュニケーションをしている光景が見えるはずである。
ビジネスの面白さについて、自己の現実と自己の欲望との関係で説明しようとする試みがいろいろなされているが、ビジネスの面白さの本質は、ビジネスにかかわる人と人との関係性に起因していると思う。
ビジネスにおける私たちの人称は、いわば、ひとつの役割演技者である。社長、部長、係長といった役職はもとより、医者、銀行家、八百屋、魚屋、大工といった職業もまたそれぞれの仕事の内容を示す呼称であると同時に、ひとつの役割演技としての人称だといえよう。
そして、ビジネスの舞台では、それぞれが、それぞれのキャラを身にまといながらも、そのキャラを操っている交換不可能な「わたし」という個性が同時に存在しているということである。仕事の上で演じる自分と、本来の自分というものが引き裂かれて存在している。この引き裂かれたような関係こそが、仕事の面白さの源泉であり、エネルギーを生み出す源である。
どうも昨今の世の中、戦略的、攻略的な思考が多すぎるように思われる。この戦略思考は、アメリカン・グローバリズムの洗礼を受けた日本人の生活のなかに深く浸透しており、日本人の一つの思考パターンのようになっている感じである。
「世界の水準に伍するには、教育システムの戦略的改革が必須」
「北朝鮮との交渉においては、交渉カードの戦略的な切り方が重要」
「不動産の購入に際しては、的確な出口戦略の策定が重要なポイント」
「マンションの売却にあたっては、リフォーム戦略をご提案します」
このように、「戦略」という言葉は、私たちの周囲にあふれているが、こうした戦略論的なものの考え方が支配的になった理由は、人がかつてのおおらかさを失って、ずる賢く攻撃的になったからだろうか。しかし、それ以上に、他者というものに対する信頼性のスタンスが変質し、固定化していることに理由がありそうである。結論からいえば、それは都市化と市場原理主義の横行にその因子があるということである。
投資家が収益の大きさで会社を評価するやり方や、経営コンサルタントが短期的、局所的な問題解決のための経営戦略とは異なり、会社経営に携わる者や労働者の一人ひとりが、ビジネスの現場で自分たちの問題を自分たちの言葉で考えてゆくことが、今後ますます重要になると思う。
なぜ働くのか、会社で過ごしている時間は自分にとってどんな意味があり、どのような資産をもたらしてくれるのか。このことは、個人それぞれの私的で切実な問題とビジネス社会の仮構をどのように架橋してゆくのかといった問題を考えることからはじまるといっていいであろう。
攻略しないという方法は、見えない資産を最大化するために考えられる一つのアプローチなのである。
「本来」を考える
やれ勝ち組だ負け組みだ、戦略だ、ゴール設定だというのは、ビジネスを戦争になぞらえている考え方であり、本来は、楽しむことこそビジネスのあるべき姿だという著者の主張には同感できるものがあるというか、一種の清々しさを感じてしまう。
この本が書かれた当時は、米国での「ITバブル」や「ドットコムバブル」は弾けていたものの、日本では『ヒルズ族』に代表される新自由主義的な連中が跋扈していた頃だ。「グローバル化」や「時価総額経営」「利益至上」といった言葉が躍り、何かというと「戦略的思考」が出てきていた。
そんな中で、「本来のビジネスって、敵を出し抜き、勝ち負けを決める戦争じゃないよね」ということを経営者の立場の著者が言い切るのは本当に面白い。
自分にとって会社とは? 仕事とは何か? なぜお金が必要なのか? 働く意欲はどこから沸くのか?
私たちを取り巻くあらゆるものがスピードアップしており、知らないうちにそれに巻き込まれている。こんな状況の中で勝ち続けることの意味は何なのか?
著者の言う「本来」を考えてみることは、決してムダではない。このメッセージは、今でも通用する。というか、今こそ「本来」を考えるのに良いタイミングなのかもしれない。
目次概略
平川克美著『一回半ひねりの働き方~反戦略的ビジネスのすすめ』の目次概略は以下の通り。
- ビジネスと言葉づかい――戦略論を見直すために
- ビジネスと面白がる精神――会社とは何か
- 見えない資産としての組織――組織とは何か
- プロセスからの発想――仕事におけるゴール、プロセスとは何か
- モチベーションの構造――人が働く本当の理由
- 一回半ひねりのコミュニケーション――なぜ、「なぜ働くのか」と問うのか
- それは何に対して支払われたのか――評価とは何か
- 攻略しないという方法――新しいビジネスの哲学として