📓武士道 ーいま、拠って立つべき“日本の精神”

自己啓発・研鑽
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『武士道』の現代語訳

『武士道』 著者の新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)とは、日本銀行券の5千円札に肖像が印刷されていたあの人である。日本銀行券の肖像は一定期間を経ると切り替わるが、新渡戸が印刷されていたのは、1984年に発行開始し、2007年の支払い停止まで使われていた5千円札だ。

なんとなく顔を知っていても、多くの日本人は新渡戸の功績をよく知らないであろう。新渡戸は、日本最初の農学博士であり、キリスト教徒として教育界に多くの足跡を残した人だが、とりわけ彼の名を世界に知らしめたのが本書 『武士道』 だった。

1899年(明治32年)、本書はアメリカで英語で出版され、ヨーロッパの各国、中国でも翻訳されて、世界的な大ベストセラーとなった。アメリカ滞在中、日本の精神性についていろいろと訊ねられたことから、それに答える意味で書いたと著者は述べている。当時の多くの外国の知識人は、この本を通して日本を理解した。セオドア・ルーズヴェルト大統領が、日露講和条約の調停役を頼まれて引き受けたのも、 『武士道』 を読んで日本びいきになっていたからだとされる。

武士道が盛んに論議されるようになったのは、武士階級が消滅した明治になってからのことである。怒濤のごとく流入する西洋化の波に、「日本人とはなにか」を問い直し、和魂としての武士道がもてはやされるようになった。新渡戸もアメリカの地にあって、当時の日本を軽蔑する風潮のなか、日本民族が正しく理解されていないとして、武士道をもって日本の伝統を語ろうとした。

キリスト教徒と武士道とは一見相容れないように思えるが、プロテスタント精神の質素、倹約、自律、自助、勤勉、正直は、武士道の精神と根本的に相通じるものがあったのであろう。

世界はグローバル化が進む一方で、トランプ政権誕生によって自国中心の保護主義に揺り戻されたり、英国がグローバリズムの象徴ともいえるEUから離脱するなど、「我が国は何なのか」を問い直しているように見える。日本人が、あらためて世界の中の日本を考えるとき、新渡戸が 『武士道』 で言わんとしたことは、今もなお生きている。

訳者の岬龍一郎氏は、作家・評論家。情報会社や出版社の役員を歴任した人物。著述業のかたわら、人材育成のために「人間経営塾」を主宰。国家公務員・地方公務員幹部研修、大手企業研修などの講師を務め、「人の上に立つ者の人間学」を説いている。

日本人とはなにか

武士道は、何百年という長い日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達を遂げたものである。それゆえに、明確な時と場所を指して、「ここに武士道の源泉がある」などとは言えない。あえて言えば、武士道の起源は封建制の時代の中で自覚され始めたものというだけである。ヨーロッパで、封建制の始まりとともに職業的武人階級が必然的に台頭してきたのと、時期的にも(12世紀末)、また背景にも似たものがある。

元来は戦闘を職業とした猛々しい素性だったに違いないが、支配階級の一員として、身につける名誉と特権が大きくなるに従い、責任や義務も重くなっていき、彼らの行動様式に共通の規範というものが必要になってきた。

仏教は、武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心を与え、やがて禅と結びつく。そして、世俗的なことを超越して「新しき天地」を自覚することができた。

仏教が武士道に与えられなかったものを、神道が補った。主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、神道の教義によるものであり、サムライの傲慢な性質に忍耐心や謙譲心が植えつけられた。

道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となったが、君臣、親子、夫婦、長幼、朋友についての「五倫」は、儒教の書物が中国からもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたもので、それを確認したにすぎなかった。孔子の政治道徳、貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に著しく適合したものだった。

孔子についで孟子の教えが、さらに武士道に大いなる権威をもたらした。孟子の強烈で、ときには極めて民主的な理論は、気概や思いやりのある性質の人にはとくに好かれた。一面、封建的な秩序社会を覆す危険思想とも受け取られ、その書物は長いあいだ禁書とされたにもかかわらず、孟子の言葉はサムライの心の中に不変の地位を占めていったのである。

だが、武士道は知識を重んじるものではない。重んずるのは行動である。それは、中国の思想家・王陽明の「知行合一」を教えとした。

武士道は、勇気と忍耐、慈悲の心、礼を重んじる心と型、武士に二言はないとする誠、命以上に大切にした名誉、個人よりも公を重んじる精神など、キリスト教の教典にも、コーランの教えにもない独自のものを含む。猛々しい勇気が求められる一方で、武士道は、音楽や文学をたしなむことを教え実践された。サムライは誰もがそれなりに詩人であった。戦場で死者の兜や鎧をはぐと、その中から辞世の句が見つけ出されることは希ではなかった。

ヨーロッパでは、キリスト教が戦いのさなかに他者への憐れみの心に貢献したが、日本では音楽や文学を愛する心がその役割を果たしたのである。優しい感情を養うことは、他者の気持ちを尊重することから謙虚さや丁寧さが生まれ、それが「礼」の根源となった。

その心を型にしたものが茶の湯である。戦乱や戦闘が絶えなかった時代、茶の湯に集まり来る人々は、戦場での残忍さや政治的なわずらわしさを捨て去り、この茶室の中に平和と友情を見出したのである。茶の湯は礼法以上のものである。それは芸術であり、折り目正しい動作をリズムとする詩であり、精神修養の実践方式だった。

過去の日本は、まごうことなく武士がつくったものである。武士は社会的には民衆より高いところに存在したが、民衆に道徳律の模範を示し、みずからその手本を示すことによって民衆を導いた。武士道は大衆のあいだで酵母として発酵し、日本人全体に道徳律の基準を提供したのだ。そして、武士道の精神を表す「大和魂」(日本人の魂)という言葉は、ついにこの島国の民族精神を象徴する言葉となった。

本居宣長は、国民の声なき声を言葉にしてこう詠んでいる。

敷島の大和心を人とはば 朝日に匂う山桜花

まったくその通りである。「桜」こそは古来からわが日本民族がもっとも愛した花である。それは国民性の象徴でもあった。

ヨーロッパ人はバラの花を賞賛するが、私たち日本人はそれを共有する感覚は持ち合わせていない。バラには桜花の持つ簡素な純真さに欠けている。バラはその甘美さの陰にトゲを隠し、執拗に生命にしがみつく。まるで死を怖れるがごとく、散り果てるよりも、枝についたまま朽ちることを好むかのようにである。色は華美であり、濃厚な香を漂わせる。

私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままいつまでもその生命を捨てる覚悟がある。その色はけっして派手さを誇らず、淡い匂いは人を飽きさせない。

武士道は、無意識の抵抗できない力として、日本国民の一人ひとりを動かしてきた。形式こそ整えていなかったが、過去も現在も、わが国民を鼓舞する精神であり原動力なのである。武士道は、いまなお過渡期の日本を指導する国民的原理であり、新時代を形成する力を発揮するにちがいない。

キリスト教の伝導は、新しい日本の特性を形成する上で、目立った影響はほとんど及ぼしていない。善きにつけ悪しきにつけ、私たちを駆り立てたものは純粋で単純な武士道そのものであったというべきである。

ヘンリー・ノーマン(英国の旅行家)は極東事情を研究し、観察した後、日本がほかの東洋の専制諸国と異なる唯一の点は、「人類が考え出したことの中で、もっとも厳しく、もっとも高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民のあいだに支配的な影響力を及ぼしたこと」にある、と断言している。日本の変貌はいまや全世界が知る歴然たる事実であるが、武士道こそ維新回天の原動力だったのである。

国民がみな一様に礼儀正しいのも武士道のたまものである。「小柄なジャップ」の持つ忍耐力、不屈の精神、そして勇気は、日露戦争によって十分に証明されたではないか。

しかしながら、その反面、私たち日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があることも認めなければ、公平さを欠くであろう。わが国の若い人の中には、科学分野では国際的な名声を得た人がいるというのに、深遠な哲学の分野では誰もまだ偉業を達成した人はいない。この原因は、武士道の訓育にあっては形而上学的な思考訓練がおろそかにされたからである。日本人の過度に感じやすく、激しやすい性質についても、私たちの名誉心にその責任がある。

武士道は支配者階級の道徳的行為に重点を置きながらも、その影響はあまねく国民全体の道徳となった。それとは対照的に、キリスト教の道徳は、もっぱら個人およびキリストを個別に信仰する人々を対象にした。さすれば、個人主義が道徳の要素として力をつける民主主義社会においては、キリスト教の道徳はますます広まっていくだろう。

キリスト教と唯物論(功利主義を含む)は、いずれ世界を二分するであろう。小さな道徳体系は、これらのどちらかに組み込まれて生き残りをはかるであろう。武士道は確固たる教義もなく、守るべき公式もない。一陣の風であえなく散っていく桜の花びらのように、その姿を消してしまうと思う。だが、その運命はけっして絶滅するわけではない。

武士道は独立した道徳体系の掟としては消え去るであろう。だが、その力がこの地上から滅び去るとは思えない。サムライの勇気や民族の名誉という建物は壊されるかもしれないが、その光と栄光はその廃墟を超えて生きながらえるであろう。象徴である桜の花のように、四方の風に吹き散らされた後も、その香りで人類を祝福し、人生を豊かにしてくれると信じる。

日本人の誇りを取り戻そう

大ヒットしたハリウッド映画でトム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』は、本書の影響を受けていると聞いたことがある。日本で忘れ去られようとしている価値観や道徳観が、米国で人々の共感を呼ぶのは何とも皮肉な現象だ。

100年以上前、新渡戸は本書の中で、武士道の道徳体系は滅び去るだろうが、日本人の心の中にその精神は残るとした。しかし、今の日本は、その精神さえも消滅しかかっているように見えなくもない。政治家や官僚、企業の経営者、医者、警察官、そして私たち庶民まで、精神的な支柱を見失ない、倫理的な荒廃も見受けられる。もし本書を読んで心動かされるところがあるなら、それは著者が書いたように、武士道がいまなお私たちの心の中に生きている証拠ではないだろうか。

2022年現在、検索エンジンで「侍」というキーワード検索を実行すると、「侍ジャパン」関係の記事が上位に出てくる。本来なら「日本代表野球チーム」あたりの名称なのだろうが、「侍ジャパン」とすることで、監督も選手も気持ちが変化したらしい。それは、名称が 「侍ジャパン」に変更後の第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で優勝したときのイチロー選手のコメントに表れている。

侍ジャパンというネーミングからハードルを感じました。私アイドル、と言いながら、かわいくないやつは最低で。侍がですね、最終的に勝てなかったら、こりゃかっこつかんぞという中で、自らハードルを上げて、最終的に侍にはなれたこと。大変よく思っています。ホッとしています。

第2回WBC連覇後の共同記者会見でのイチロー選手コメント

私が大好きな元プロ陸上選手の為末大氏は「侍ハードラー」と呼ばれていた。2001年世界陸上選手権において、男子400mハードルで日本人初の銅メダルを獲得した為末氏は、『武士道』の愛読者のひとりであるらしい。余談だが、為末氏が設立した法人は、株式会社侍(さむらい)という。

本書は、私たち日本人に生きる指針を与え、誇りを取り戻させてくれる名著だと思う。

目次概略

新渡戸稲造著・岬龍一郎訳『武士道 ーいま、拠って立つべき“日本の精神”』の目次概略は以下の通り。

  1. 武士道とはなにか
  2. 武士道の源はどこにあるか
  3. 義-武士道の礎石
  4. 勇-勇気と忍耐
  5. 仁-慈悲の心
  6. 礼-仁・義を型として表わす
  7. 誠-武士道に二言がない理由
  8. 名誉-命以上に大切な価値
  9. 忠義-武士は何のために生きるか
  10. 武士はどのように教育されたのか
  11. 克己-自分に克つ
  12. 切腹と敵討ち-命をかけた義の実践
  13. 刀-武士の魂
  14. 武家の女性に求められた理想
  15. 武士道はいかにして「大和魂」となったか
  16. 武士道はなお生き続けるか
  17. 武士道が日本人に遺したもの
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