柳井正氏が絶賛『プロフェッショナルマネジャー』

組織の運用
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再刊されたベストセラー

経営者には読書家が多い。それは大企業でもスモールビジネスでも同じだ。純粋なエンターテイメントとしてミステリー小説を読むこともあるだろうが、歴史や伝記、哲学、尊敬する先輩経営者の自伝、ビジネス書などを「問題解決のヒント」として読む経営者が多いのは事実だ。ここで紹介する『プロフェッショナルマネジャー』を読むのは、経営者か、将来の起業家予備軍だろう。

本書は最初の出版から20年近く経って再刊されたものだ。一番最初の日本語訳は、1985年に早川書房から『プロフェッショナルマネジャー・わが実績の経営』として出版された。ユニクロでお馴染みファーストリテイリングの柳井正氏が、「最高の教科書だった」と絶賛したこともあり、2004年にプレジデント社から復活した。

著者のハロルド・ジェニーン氏は、1959年、経営危機に陥っていた米ITTという通信系のコングロマリット企業の経営者にスカウトされ、なんと58四半期(14年半)連続増益という離れ技をやってのけた。氏は、どんな状況でも収益を年に10~15%増やすことを目標とし、実現した。ゴールを見定め、そこに行き着くためにすべきことをするのが大切だと説く。

ジェニーン氏がCEOに就任した時、ITTの売上高は7億6560万ドル、収益は2900万ドルにすぎなかったが、CEOを辞任した1977年には、売上高166億ドル、利益は5億6200万ドルにまで成長した。氏の引退後、同社は解体した。

ジェニーン氏の主張の最も中心的なポイントは3つある。

  1. 経営理論というのは参考にはなるが、理論で経営はできないこと
  2. 経営は、目標を定めて、その実現のために努力するものであること
  3. 経営は業績という結果がすべてであること

時代が1960~1970年代の話なので、インターネット前提の現代からすると違和感のある内容も含まれているが、上記のポイントも含め、どんな時代でも通用する普遍的な考え方を学ぶと良いだろう。

なお、ジェーニン氏は1997年に87歳で亡くなった。

終わりから始めるのが経営

ジェーニン氏はビジネスの世界に入ってから今までの50年以上の間に、どうしたら良い経営ができるかというテーマについて、何百冊の本、何千の雑誌記事や学問的な論文を読んだ。若いころには、大学教授やコンサルタントが説く理論や公式を、熱心に吸収し信奉もした。趣味やファッションのように、ビジネス理論は次々に現れては消えていく。

しかし、実際に組織のトップとして社員を導き、決定を下す立場になってみると、そうした理論のどれ一つとして、謳い文句通りには役立たないことを知らされた。ビジネス理論というものは、おおむねそうしたものだ。

ビジネスはもちろん、他のどんなものでも、セオリーなんかで経営できるものではない。これがセオリーGである(Gは著者ジェニーン氏の頭文字)。

本を読む時は、初めから終わりへと読むが、ビジネスの経営はそれとは逆である。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのである。

著者は、ITTの業績を、毎年最低10%成長させることを目標にかかげた。楽に達成できる年もあれば、大変な努力が必要な年もあった。しかし、とにかく毎四半期10%の成長を実現することを社員に求めた。

当時、ITTの社内では、入念な5カ年計画に多くの時間をとられ、その間にも、業績は落ち込んでいた。今期はダメでも、次の期に頑張ればよいという空気が社内を覆っていた。これは、昔ながらの落とし穴である。著者は彼らに「最初の四半期に目標を達成できなかったら、けっして年間の目標を達成することはできない」と言いつづけた。

その結果、14年半、58四半期連続して増収を記録することができた。目標を定め、これを実現するために努力する、これしかないのである。

なんのかんのといっても、結局、会社とその最高経営責任者と経営チームの全員は、パーフォーマンス(業績)というただ一つの基準によって評価される。経営者は、そのために、経営しなくてはならぬ。

「経営者は、経営しなくてはならぬ!」

これがITTにおける著者たちの信条となった。それは単純きわまる信条だった。あまりに単純すぎて、まともに信条にする気になれないこともある。しかし、成功をおさめる秘密はこれ以外にないのである。それは、しなくてはならないことは、やり遂げなくてはならないということである。

あるマネジャーと別のマネジャーを比較した場合の重要な違いは、それぞれがどのような基準を定め、自ら定めた条件を満たすためにどれだけのことをするかということである。マネジャーとしての著者が果たしたITTへの貢献は、マネジメント(経営者と経営)の基準を、たいていの人が可能だと思っていたより上へ押し上げたことだった。著者が固執した達成の水準は、会社のあらゆる層に浸透した。われわれは背伸びし、手がかりをつかみ、経営し、目標を達成したのである。

プロフェッショナルマネジャーの数字の理解力は、それらの数字が表す事柄を、どれだけコントロールできるかの一つの尺度である。すばやく行動して予測とのずれを修正できるように、さまざまの変数の意味を読みとることを経験によって学ぶ。しかし、数字に注意を払うことは、単調で退屈な、決まりきったことの繰り返しの苦行である。たいていの人は、数字より言葉のほうが読みやすいと思うものである。

数字が言葉以上に多くのことを語るものであるが、同時に、数字には正確なものとあまり正確でないもの、精密なものと大まかなものなどがある。数字が持つそうした性質は、通常、その会社の最高経営責任者が部下に何を期待しているかによって決まるものである。

しっかりした管理方式とは、会社のどの部分が期待通りのことをやっていないかを遅滞なく、十分に詳しく知らせてくれ、それに基づいて自分が数字の背後に回って、どこをどうしなくてはならないかを正確に分析できるようにしてくれるものである。そのような管理方式がありさえすれば、誰でも会社を前進させ、成長させ、利益をあげる経営ができるはずである。事実を正確に伝える、質の高い数字がそうさせてくれるのである。

企業家とは、自分自身のために事業に携わっている人間と定義される。自分のすべてを賭け、大きな見返りのために大きなリスクを冒す人間である。

近年、アメリカの多くの大企業の足どりが慎重になり、アメリカの世界市場における競争力が減退してくるにつれ、リーダーたちは、世界の羨望たらしめていたアメリカの古き企業家精神を復活させる道を探りはじめた。

しかし、GEやGMのような大企業の最高経営責任者が、ある試みのために会社を賭けることはできない。株式公開会社を統率する人間は、他人の所有物である多額の資産を委託されいるのである。投資した人たちは、年率10%か15%の収益を期待しているのであって、その投資を2倍あるいは4倍にする試みのために自分たちの資産をリスクにさらすことを望みはしない。

実のところ、企業家精神は大きな公開会社の哲学とは相反するものだ。企業家とは革新的な、独立独歩の、そして大きな報酬の可能性のために常識的な限界以上のリスクを進んで冒す人々である。

大企業が、固有の構造のために完全に企業家的であることは不可能だとしても、いわゆる”企業家精神”を教え込むことはできるのではないかという意見がある。しかし、問題は、会社組織の中で、自発的な発明の才がある従業員に企業家としての報酬を与えることができるかということになる。

ITTの中で出会った企業家的マネジャーは、会社が与えてくれる安楽と安定に慣れてしまっている人たちでも、リスク覚悟で大きな代償を手にすることを期待する企業家でもない、まったく違った性格だった。

昇進の階段を小きざみに上ることや、年に5-10%の昇給や、自分の仕事の範囲が局限されていることに、彼らは満足できない。もっと困難な仕事が望みなのだ。著者はそうした人々を、ITTのうまくいっていない事業部に転属させ、彼らの努力でそうした事業部が立ち直ると、最高20%を限度とする昇給とボーナスでねぎらった。彼らは自分が達成した結果に対する十分な報酬でないことを知っていたが、それに満足してくれた。

今日、アメリカの事業環境に起こりつつある重要なことの一つは、大企業の機構そのものを破壊することなしに、真の企業家精神をその機構の活力源として利用するという、二律背反的な命題への取り組みである。しかし、企業の中の真の企業家は、長期にわたっては存在せず、また存在しえないのが実相である。企業家は十分な経験を身につけるまで大企業の中にとどまる。それから大きな利益を手に入れるために出て行ってしまう。

それでもなお、アメリカ企業の未来は、企業家にかかっているように著者には思われる。あえて独力で何かをやろうとする個人あるいはグループは、その努力によって新しい富と市場価値を創造できるということが広く認められてきた。それらには投資する価値がある。

企業家自身が自分の事業に投資している燃えるようなエネルギーと献身と惜しみない労働に対して投資しているのだ。企業家はそうせざるを得ない。彼は自分の会社を賭けているのだから。成功か、さもなくば敗れてすべてを失うほかないのだ。

企業活動におけるアメリカの卓越した地位が、他の国に奪われつつある。かつてあれほど活力盛んで成長を志向していた大企業が、今やまごつき、当惑しているような印象を受ける。

アメリカ企業にはびこっている弛緩の原因を、しばしば労働者に向けられる。確かにその一部をなすものではあるが、弛緩はまずマネジメントの最上層に始まり、下へと広がっていくのが常だ。

マネジメントには目的と献身が不可欠である。その献身は情緒的な自己投入でなくてはならない。それは真のマネジャーなら誰でも、人格の枢要部分として組みこまれていなければならないものである。

企業であろうと教会、探検隊、特定の職域、さらには家庭生活にあってさえ、そのマネジメントの良否は、自らが設定した目標を達成するかどうかにより判定され、目標が高ければ高いほど、良いマネジメントだといえる。マネジャーが目的を達成するためには、なんとしても、正しい決定をするのに必要な情報を入手しなくてはならない。そうすれば、目的への道は一歩一歩、おのずと開けていく。

目標を掲げ、徹底して努力する

ファーストリテイリングの柳井正氏が、1985年に本書(日本語訳)を読み、一念発起してユニクロを成功に導く原点になったという話はご存知の方も多いだろう。今日のユニクロの大躍進のキッカケになったフリースは1994年に誕生した。急成長したユニクロが原宿店をオープンしたのが1998年だから、この本を読んでから13年後が経っていた。

いわゆる経営のノウハウ本でもなく、精神論でもないこの本に関心を持ったという柳井氏は、極めて個人的な目標として、本物の「経営者」になりたかったのだと推測する。経営者は経営をする。目標を掲げて、達成するために徹底して努力する。結果が全てである。そういう内容の書かれた本が「最高の教科書」だったと言っているのだ。

1985年という時代は、日本が自信に満ちていた時代である。世界が「日本に学べ」と言ってい時代に、ある意味生々しい米国の経営者の気持ちの葛藤や、様々な工夫について書かれた本が、一般的に受け入れられたとは到底思えない。

翻訳本であることと、昔の米国の会社の話であることから、多少不明の部分もあるだろうし、今なら何の問題もない部分もあると思うが、ビジネスに携わる者としては得るものが多い一冊だと思う。とはいえ、人によって状況は異なるので、読んでみてヒントになる普遍的な部分だけ拾い集めればよい。

目次概要

ハロルド・ジェニーン著『プロフェッショナルマネジャー』の目次概要は以下の通り。

  1. 経営に関するセオリーG
  2. 経営の秘訣
  3. 経験と金銭的報酬
  4. 二つの組織
  5. 経営者の条件
  6. リーダーシップ
  7. エクゼクティブの机
  8. 最悪の病-エゴチスム
  9. 数字が意味するもの
  10. 買収と成長
  11. 企業家精神
  12. 取締役会
  13. 気になること-結びとして
  14. やろう!
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