大きく変化した書店ビジネス
若い頃は書店に行くのが大好きだった。そもそも読書が好きというのもあるが、書店によって「どの本が平積みになっているか」を眺めたり、書店ごとに異なる「コーナーづくり」にも興味があった。どの書店も商品である本は同じなのに、各書店で「何を提案するか」を競い合っているようだった。
頻繁に書店通いをしていたのはバブル経済がはじける1990年より前だったので、どうやら国内の書店数が現在(2022年)の3倍あったようだ。当時の書店数は増加する一方。かなり尖った書店であっても商売は成り立っていたようだった。既に閉店した渋谷パルコ・ブックセンターや、青山ブックセンター六本木店は、来店者を選ぶような店づくりで本当に先鋭的な感じがしていて、わざわざ足を運ぶ価値があった。
激減する書店数
本が売れないと嘆かれて久しい出版業界。商店街にあった小さな本屋は姿を消し、大手チェーン書店もつぎつぎと閉店し、近所にあるのはブックオフだけという地域は多い。インターネット通販が普及し、さらには電子出版も本格的な浸透が進む現在においても、紙媒体による出版物を購入するメインの流通ルートとして君臨しているのが書店。普通に考えれば、今後増える可能性はないと思える。
書店調査会社のアルメディアによると、2020年5月1日時点での書店数は1万1024店。このうち、売場面積を持つ店舗に限ると9762店となり1万店を割り込んだらしい。
最近の書店の変化
書店数が激減しているのは事実だが、新しく登場した書店や、大型化した書店を覗くとお客さんがいっぱいで非常に活況に思える。それを数字で示したものとして、『蔦屋書店』を展開する株式会社TSUTAYAが、2017年2月に「TSUTAYA書籍・雑誌の年間販売総額が過去最高1,308億円を達成」というリリースを出している。ここでは、22年連続成長の様子を以下のグラフで公開している。
このニュースリリースには以下の内容が書いてある。
年間販売総額が過去最高を更新した背景として、「Tカード」のデータベースを活用した消費動向の分析をもとに、趣味・志向の多様化に併せ、各店舗の商圏特性や利用者属性にあった品揃えの強化により、書店として顧客満足度の高い「生活提案」型のお店作りを徹底してきたことなどが挙げられます。
引用: 「TSUTAYA書籍・雑誌の年間販売総額が過去最高1,308億円を達成」
お店づくりを「顧客満足度の高い」ものにしたと言っている。実際に蔦屋書店に行ってみれば分かるが、購入前の本をじっくり吟味できるカフェが併設されるなど、昔ながらの書店では考えられない顧客サービスが提供されている。
書店と顧客満足
CS:顧客満足
顧客満足(CS=Customer Satisfaction)の向上は、企業の経営課題のひとつ。こういわれて久しい。
昔から日本では「顧客第一主義」という企業理念が唱えられていた。しかし、CSと「顧客第一主義」とは似て非なるものといえよう。「顧客第一主義」はあくまで企業側の視点に立った企業のルールであるのに対して、CSは顧客視点のルールによるものだ。
CSがクローズアップされるようになった背景には、市場および顧客の成熟がある。市場が成熟したことで、市場の主導権は企業から顧客に移っている。また、市場の成熟にともない、顧客は多くの商品知識を持つようになり、いわゆる「洗練された顧客」が数多く現れるようになった。
このような顧客主導型の市場において、企業が差別化を図るために取るべき手段の一つがCS向上だ。身近な書店で起きていることもこのCSの例だと考えられる。
カルコス書店の座り読み
岐阜市の書店カルコス本店と言われてもおそらく知っている人は少ないだろう、実は、日本で初めて書籍の「座り読みスペース」を導入したのがこの書店だ。「座り読みスペース」には大きなテーブルや隣同士を気にせずにすむ1人用のテーブルもあり、座り心地のよいいすやソファも備え付けられていた。
それまで、書店においての立ち読みは好ましからざるものだった。書店で立ち読みすると、ハタキで本のホコリを払っている書店員から妨害されるというのがそれまでの常識だった。カルコス書店は発想を逆転させて「お客様にゆっくりと本を選んでもらう」というスタンスを打ち出し大変好評を得た。これ以降、ほかの書店でも書籍の座り読みコーナーが増え、また座り読みサービスの派生系としてカフェを併設した書店も現れるようになったのだ。
購買検討機会の増加
実はこの「座り読み」は、米国の有名な書店バーンズ&ノーブル社で誕生し、欧米では広く定着しているサービス。日本になかっただけのものだった。
日本の書店業界は、再販制度(定価販売制度)の存在により他業種のように値引きによる販売競争を行うことができない。このため当時の書店各店は、立地条件や品ぞろえ、店内での陳列方法や販促ツール等によって差別化を図っていた。冒頭に書いたように「何を提案するか」で、ほかの書店と競争していたのだ。それと同時に更なる新しいサービスを模索していた。
座り読みに注目して導入を検討した書店は、カルコス本店以外にもあったらしいが、「座り読みを容認すると、読むだけで買わずに済ませる客が増えるのではないか」という不安のため、カルコス本店が導入に踏み切るまで、実現に至らなかった。
カルコス本店では、座り読み以外にも顧客満足を充足させるサービスに取り組んだ。店内に心地よい響きのBGMを静かに流したり、照明や内装も暖かく居心地のよい雰囲気を醸し出すようにしたという。その結果、顧客はゆっくりと書籍を選ぶことができるため専門書の売上は増加し、客単価の増加が売上増につながった。座り読み導入後の売上は、初年度から目標予算比で40%増を記録したという。
書店での座り読みが「顧客満足」につながり、それが「購買検討機会の増加」につながり、結果として売上増につながった。
「店内の陳列や販促ツール」は書店側の視点だが、「ゆっくり書籍を選ぶ」のは顧客側の視点。まさにCSによってビジネスが影響を受ける好例だといえよう。
書店側から考える
上の写真は大規模書店の代表格であるジュンク堂書店。手前に見えるのは座り読み用の椅子だ。こうした光景はブックファーストなどでも見かけるが、最近の書店はベンチを置いている店舗も増えている。
先述の蔦屋書店では、さらに発展してカフェ併設でイス、テーブルを置き、購入前の商品を「座り読み」をしていいですよというスタンスが明確だ。
利用ルールを書かない
昭和生まれの人間としては、こうした書店で初めて座り読みして15年以上経っているものの、「新品で売り物の本をゆっくり読んでしまっていいのか」と思ってしまう。
さらにこの手の書店では、せいぜい「ご自由に座りお読みください」程度しか書いていない案内しかなく、時間のルールや、新品の本を破損させたり、汚したりしたら弁償になるのかなど何も書いていない。書店員さんが特に管理している様子もなく、お客さんが何時間もイスを独占していようが、一冊の本を読破していようが何も言わない。
そもそもが 「ゆっくり書籍を選ぶ」 というために設置したイスやテーブルなので、考えてみればルールをつくる意味がない。例えば、図書館のように「みんなでシェアする」のが目的であれば一定のルールが必要。顧客視点のCSというのはこういうことだと妙に感心した。
本の汚れは気にしない
「ゆっくり書籍を選ぶ」ために、何冊かの新しい本を抱えてテーブルにいき、冒頭部分などを読んだとしよう。気に入ったものは買うことにするが、そうでないものは戻すことになる。当然、表紙にキズがついたり、ページが折れたり、飲んでいたコーヒーをこぼすなどが起きるはずだ。これも大丈夫なのか心配になる。
書店の関係者によれば、これも心配ないということらしい。ある程度のキズや汚れがあっても出版社に本を返すことができるそうだ。返品可能ということ。
前述の通り、日本の書店業界は、再販制度(定価販売制度)の存在により他業種のように値引きによる販売競争を行うことができない。その代わりとして、売れない本を返品できるというのが基本原則。キズや汚れを気にすることなく、お客さんに多くの本を手に取ってもらい、たっぷり時間をかけて購入検討してもらう。そういう場が「書店」というのが今の流れだと思われる。
これはインターネット書店で「ぽちっとクリックして」本を買うこととまったく異なる本の選び方だ。顧客満足が差別化につながるという好例かもしれない。
満足は当然になる
ここまで、書店の座り読みとCSについてみてきた。一般的に、CSにおいては重要なポイントが2つ挙げられるという。それは「不満の解消」と「満足の獲得」だ。「不満の解消」は、現在顧客が不満に思っていることを取り除くことで満足度を上げることであり、「満足の獲得」は、顧客に新たなサービスを提供することによって更に満足度を上げること。
書店のケースでは「立ち読みではゆっくり読めない」という不満に対して「快適な環境でゆっくり本を読んで選ぶことができる」が解決策として提示されている。このように、この2つはそれぞれが深く結びついている。
これを時間の経過で考えてみると、過去の不満の解消が現在の満足となっていることが分かる。ここで重要なことは「満足」は時を経るにつれて「当然」になり、やがては「不満」になっていく可能性を内包しているという点。顧客は常により大きな満足を求める存在だと考えたほうがいい。今では座り読みは「当然」になってしまったのだ。やがては「不満」になるときがくるはずだ。
顧客の不満を解消し、満足を先取りするためには、極論すれば「顧客のルールを企業が受け入れる」ことに尽きる。しかし、顧客はルールをどんどん変えられても、一旦固められた企業のルールを変更することは簡単ではない。ただ、企業が人の集まりであることを考えれば、一個人として顧客のために現実に即した解決策を提案し、それを企業のルールにすることができれば、そのルールは顧客のルールとかけ離れたものにはならないだろう。
ある有名な流通業者では、従業員一人ひとりに一定の権限を与えることによりCS向上を図っているという。権限を持った従業員が企業のルールの範囲内で顧客と向き合い、自発的に問題を解決することができるようにするためだそうだ。
企業が顧客のルールに注意を払い、顧客の「あったらいいな」「できればいいな」を先取りしていくことが、CS向上の秘訣かもしれない。