賃金に関する労使間ギャップ
会社と社員は「労働契約」によって結ばれた関係だ。労働契約とは、労働時間、業務の内容、賃金などの諸条件を定めた書面による契約で、特に賃金に対する関心は、会社も社員も高いといえるだろう。賃金を法律的に表現すると「労働の対価として企業が労働者に支払うもの」となるが、平たくいえば、社員にとって賃金は生活の糧であり、会社にとって賃金は社員の労働に対する報償といえる。
だが、賃金の性質はここにとどまらない。賃金は社員にとって生活の糧である以上に「やる気の源」でもある。高い賃金が支給されればこれまで以上に仕事に熱中するようになり、賃金が低ければ仕事へのモチベーションも下がる。「仕事をするのは生活のため」と割り切る人もいるが、こうした人でも、自分の成果や能力が高く評価され、それが賃金に反映された時、少なからずやる気が満ちてくるはずだ。
一方、会社側からみた賃金はどうだろうか。先述の通り、賃金は労働の報償という性質が強いが、そのほかに賃金制度をうまく構築することで労使関係を円満にすることができる。「同業の他社に比べて、自社は高い賃金を支払っている」「成果や能力が適切に賃金に反映されている」ことで会社側は労使交渉を優位に進めることができる。
理想の賃金制度は難しい
以上のように、賃金は労使関係において大きな影響力を持っている。もし、賃金制度が労使の意向に十分に応えるものであるならば、それ以上望ましいことはない。しかし、残念ながら労使が理想とする賃金制度を構築することは困難だ。なぜなら、労使が考える賃金制度には大きなギャップがあり、それを埋めることは現実として容易ではない。
賃金制度をめぐる労使間のギャップとは以下の3点だ。
- 賞与を含む賃金の総支給額
- 賃金算定の考え方
- 具体的な賃金支給額の決定方法
上記3つについて個別にみてみよう。
■ 賞与を含む賃金の総支給額
賃金を生活の糧とする社員は、「少しでも多くの賃金を獲得したい」と考える。これは月給に限ったことではなく、賞与、各種手当、退職金でも同様。また、同年代、同業種の他企業の賃金と自社賃金を比較し、自分の賃金がそれよりも低いと知った時、社員は明らかにやる気を失う。
それでは、「会社はできるだけ高い賃金を支払えばよいのか」といえばそうではない。各企業によって賃金の支払能力は異なり、それを無視すれば会社は人件費負担に耐えられなくなってしまう。また最近は、企業の人件費削減が活発だ。
このように、賃金の総支給額について、労使が歩み寄ることは非常に難しい。
■賃金算定の考え方
賃金を算定する際の考え方には、「年功序列に基づくもの」と「能力・成果主義に基づくもの」があり、よく比較される。今は能力・成果主義に基づく賃金制度が注目を集めており、労使ともにこれを望む傾向が強まっている。
ただし、これらは決して別々の考え方ではない。能力・成果主義的な賃金制度を目指すとしても、すべての賃金を成果や能力だけで支給する企業はないはず。そこには少なからず年齢や勤続年数に基づく賃金も含まれているのが実情だ。実のところ「能力・成果主義的な賃金制度」とは、賃金全体の中で、成果や能力によって算定される賃金の「比率を高めた制度」となっている。
ここで問題となるのは、賃金全体の中で「年功序列に基づくもの」と「能力・成果主義に基づくもの」のバランス。企業が、能力・成果主義的な賃金制度に改革するといっても、成果や能力で決定される賃金がごくわずかでは、成果を上げた社員、能力の高い社員は不満を感じるだろう。逆に、成果や能力で決定される賃金の比率が大き過ぎれば賃金の支給額が大幅に低下する社員も生じ、生活の安定が損なわれてしまう。
一般的に、若手社員は能力・成果主義を、中高年の社員は年功序列を望む傾向がある。そこに、会社の意向が反映されるため、賃金算定の考え方に関する調整は困難を極めることになる。
■具体的な賃金支給額の決定方法
多くの企業は、人事考課によって賃金を決定している。賃金を人事考課によって決定すること自体に労使間のギャップはない。しかし、人事考課制度の情報公開をめぐっては、企業が開示している情報(制度の枠組み)と社員が開示を求めるもの(評価結果そのもの)との間にギャップがある。人事考課は人間である社員が行うため、考課結果が不透明になることも少なくない。
効果結果が不透明になった結果、以下のような傾向が出てしまう問題があるという。
- ハロー効果:特定のことに目を奪われて、全体の判断を誤る傾向
- 寛大化傾向:私情が入り、実際の業績よりも甘く考課してしまう傾向
- 中心化傾向:考課の結果が中心(標準)に集中してしまう傾向
企業としては、どのような考課制度を採用しているのかを周知するために制度の枠組みを開示しているが、社員が知りたいのは「どのように考課され、賃金に反映されたか」ということにほかならない。
賃金管理の重要性
上述のように、どんな会社にも賃金に関する労使間ギャップが存在する。このギャップを完全に埋めることは不可能だが、労使が歩み寄りを果たすために「賃金管理」が重要になってくる。この賃金管理で実現するのは以下の2点だ。
- 会社は、過度な負担とならない範囲で適正な賃金を支給すること
- 社員は年齢、成果、能力に応じて公平に処遇された賃金を受け取ること
労使が歩み寄りを果たすための賃金管理は、その管理対象を金額/体系/形態の3つに大別できる。つまり、「賃金額管理」「賃金体系管理」「賃金形態管理」の3種類の管理があるということだ。
賃金額管理
賃金額管理は、さらに以下の2つに大別される。
- 総賃金額管理:企業が社員全体に支給する賃金総額の管理
- 個別賃金額管理:賃金総額の配分を管理
通常は、企業の支払能力や社員の生活の安定を考慮して「総賃金額管理」を行い、それを基に「個別賃金額管理」によって個々の社員の賃金を決定する。「総賃金額管理」の手法には、売上高に人件費率を乗じて賃金総額を求める方法などがある。「個別賃金額管理」では、内部公平性と外部競争制に主眼を置いて各社員の賃金支給額を決定する。
会社側は「総賃金額管理」に関心を持ち、社員は「個別賃金額管理」を気にすることになる。
賃金体系管理
賃金体系とは、基本給を中心として編成された賃金を、どのような基準で支給するかを示したもの。その管理を「賃金体系管理」という。通常、賃金体系は平常勤務に対して固定的に支給される所定内賃金と、平常勤務以外の勤務に対して変動して支給される所定外賃金から成り立っている。中心となるのは基本給などの所定内賃金だ。
所定内賃金の中核である基本給は、「属人給」と「仕事給」という要素で分類される。
■属人給
年齢、勤続年数、学歴など属人的要素によって算出される賃金。終身雇用、年功序列を前提とし、高学歴で長く勤務するほど上昇する。属人給は社員の生活安定のために欠かせない賃金要素であり、企業にとっては長期にわたって企業に貢献してきたことに対する報償の性質が強くなる。
■仕事給
社員にとっての仕事給は、要するにインセンテイブだ。代表的な仕事給には、以下の「職能給」よ「職務給」がある。
- 職能給:職務の遂行能力によって決定される賃金
- 職務給:職務の相対的価値によって決定される賃金
属人給とは異なり、社員の学歴や勤続年数に関係なく、成果を上げた社員、能力の高い社員が高額の賃金を受け取ることになる。日本企業に職務給はなじみにくいといわれるが、100%職務給を導入する企業が増加し続けているのも事実だ。
一般的には、属人給と仕事給の組み合わせによって基本給が決定される。今は、能力・成果主義の浸透から、仕事給の比率を高める企業が増えてきている。
賃金形態管理
賃金形態とは、賃金の算出および支払の単位を示している。これを管理することを「賃金形態管理」という。
賃金形態には、時給制、日給制、月給制、年俸制のように定額制のものと、請負制、出来高払い制など量的成果によって決定されるものがある。日本で最も普及しているのは月給制だが、年俸制を導入する企業が増えた時期もあった。
賃金制度の移り変わり
賃金が労使関係に与える影響、賃金に関する労使間ギャップ、それを埋めるための賃金管理についてここまでみてきた。賃金が労使関係の中心であることは今も昔も変わらず、理想の賃金制度を求めて数多くの改革が行われてきた。
賃金制度の主流をみてみると、かつての「日本的」年功序列的な制度ではなく、能力・成果主義的な制度を望む傾向が強まっている。労使ともそれを望んでいる傾向もある。能力・成果主義的な賃金制度とは、前述の「仕事給の比率の高い」賃金制度のことだ。
仕事給は職能給や職務給が代表格。日本企業になじみが深いのは職能給で、職能資格制度の普及にともなって多くの企業で採用されている。職能資格制度とは、職務遂行能力や熟練度などによる資格等級を設け、その等級に応じた賃金を職能給として支給する制度。
ただ、日本企業が採用する職能給は、本来の主旨とは少しズレてしまっているのが現状だという。職能資格制度において、資格等級が職務遂行能力や熟練度によって上昇し、それに基づいて職能給が支給されるのであれば、この制度はまさに能力主義的。しかし、日本企業が採用している制度では、年齢や勤続年数によって資格等級が上がり、それにともなって職能給が支給されている。これでは、属人給(年齢給など)の比率の高い年功序列的な賃金制度と何ら変わりがない。
以上のような反省から、「職能給」ではない方、つまり「職務給」が注目されることになる。
注目される「職務給」
「職務給」は仕事給のひとつで、従事している職務の価値によって賃金が決定する制度。そのため、職務給が導入されると同じ職務を行っている社員には勤続年数や年齢に関係なく同額の賃金が支払われる。
職務給は主に米国で導入されている制度で、日本企業にはあまり普及していない。その理由のひとつは、日本企業に定着している頻繁な人事異動だ。メーカーが職務給を導入した場合、人事異動に伴って、次のようなことが現実に起きている。
電子部品メーカーに勤務するA氏は、電子部品の製造において優れた技術とノウハウを持っている。A社員は工場に勤務し、能力を最大限に発揮して優れた電子部品の開発に成功した。製造された電子部品は利益をもたらす重要な製品となり、職務の相対価値は高く、A氏は高額の職務給を得ていた。
しかし数年後、電子部品の製造が軌道に乗ったことをきっかけに、A氏は営業職に異動となった。会社としては、「A氏が製造した製品がどのように販売されているのか、消費者がどのような反応を示しているのかを肌で感じ、次の製品開発にぜひ活かして欲しい」という前向きな理由でA氏の異動を決定した。
しかし、製造に関係する仕事がしたいA氏にとって営業職への異動は大きなショックだった。また、営業職に異動したことで職務給が下がってしまったこともあり、A氏はすっかりやる気を失ってしまった。
これは極端な例だが、人事異動が頻繁な日本企業に職務給が馴染まないことを如実に表している。能力を活かせる職務に従事し、適正な職務給が支給されている場合は問題ないが、異動により畑違いの職務に従事することになり、それによって賃金も下がってしまうのでは将来ある社員を企業自らが潰してしまうようなものだ。
職務給が注目される理由
日本の企業にはなじみづらいといわれてきた職務給が、大きな注目を集めているのはなぜなのか。それは、次の2点が大きな理由といわれている。
- 能力・成果主義がますます浸透していること
- 企業が、これまで以上に人材の最適配置を考えるようになっていること
職務給は、仕事の価値に対して支払う賃金。仕事の価値が高ければ賃金が高くなり、仕事の価値が低ければその反対となる。能力の高い社員は、難易度が高く企業にとって価値のある仕事に就くはずだから、当然賃金も高くなり能力主義が実現できる。
最近は社員の持つ能力や知識を最大限に活かそうという企業の意向が強まっている。かつてのように人事異動を繰り返すのではなく、社員が能力をいかんなく発揮できる部署に継続して配置するほうが得策と考える企業が増えてきているという。
こうした企業にとって、職務給は非常に好ましい制度といえるだろう。
職務給の導入
職務給を導入するには、職務の分析に始まり、職務のランク付け、賃金の妥当性の調査、導入時・導入後のフォローなどが必要だ。職務給導入については、別コラム「社員の高齢化に伴う賃金体系見直し」でも概要を書いたが、今回は対象を高齢社員に限定していないため、以降に一般的な手順を紹介しておく。
職務分析
職務給を導入するには、社内で行われている職務を細かく把握し、その情報をまとめなければならない。こういった作業を職務分析という。職務分析で調査すべき主な項目には以下がある。
- 職務の内容、特徴
- 統制関係
- 資格要件(知識、精神的要素、肉体的条件、判断力、企画力、交渉力など)
- 仕事の手順と他の職務との関連
- 責任
- 作業環境
別コラム「社員の高齢化に伴う賃金体系見直し」でも書いた通り、上記情報収集のための手法には以下の3つがある
- 観察法:職務分析担当者が職務を実際に観察することによって、職場の様子や作業環境を具体的に把握し、情報を収集する方法。職務分析の一般的な方法だが、職務分析担当者の経験や観察力などが結果に大きく影響するため、職務分析担当者には相当の経験が必要となる。
- 質問法:作成した質問票を用いて、社員あるいは管理監督者に記入してもらう方法。質問法では、回答者が職務を十分に理解し、他の職務と相対的・客観的に比較できなければならない。従って、複数の職務を経験した人材に回答してもらうほうが客観的な結果を導くことができる。
- 面接法:職務分析担当者が部門管理者などを面接する方法。面接法は、観察法などの補完的手法といえ、既に入手した情報の確認などのために行われる。
職務記述書の作成
職務分析によって得られた内容をまとめたのものを「職務記述書」と呼ぶ。これは職務分析の結果を把握するために欠かせないものだ。職務記述書を作成する際は、職務ごとにバラバラに作成するのではなく、一定のフォーマットを用意し、そこに各職務ごとの結果を書き込んでいくと比較しやすくなる。
次に、職務記述書をもとに報酬に関する以下の2項目を実施する
- 報酬要素の決定:職務に含まれるどの要素に賃金を支払うのか
- 報酬要素のウエイト付け:職務に含まれるそれぞれの要素の相対的な価値はどうか
職務評価
各職務をランク付けする。職務給は、各職務の相対的価値によって賃金が決定する制度であるため、このランク付けによって職務給の大枠が決まる。そのため、ランク付けには慎重さが求められる。
職務のランク付けは職務評価と呼ばれ、非量的方法(序列法、分類法)と、量的方法(点数法、要素比較法)に大別される。非量的方法は比較的簡単だが、恣意的傾向が強くなる。一方、量的方法は手間がかかるが、客観的な結果を導くことが可能だ。
非量的方法(序列法、分類法)と、量的方法(点数法、要素比較法)の4手法は以下の通り。
- 序列法:それぞれの職務を比較し、複雑度・困難度・責任度などに応じて価値の高いものから低いものへとランク付けする方法
- 分類法:あらかじめ職務の熟練度・責任度などを基準に等級基準を作り、その等級基準に各職務を当てはめていく方法
- 点数法:職務の持つ責任度・努力度・作業条件などに評価基準ごとの点数を付けて、各職務ごとに採点し総得点によってランク付けする方法
- 要素比較法:基準となる職務を選び、それに含まれる報酬要素の賃率を決定。その後、基準職務以外の職務について、基準職務と比較しながら要素ごとに賃率を割り振る方法
市場賃金比較と職務給の導入
市場賃金との比較を行う。具体的には、同業種の企業、同規模の企業などの賃金情報を収集し、これと比較しながら、各職務に含まれる報酬要素に賃金を割り振り、最終的に職務給を決定する。
職務給に限らず、市場賃金と比較することは非常に重要なので、官公庁や関連団体の資料、外部の調査機関を利用して必ず入手しよう。
■職務給の導入
賃金制度を変革する際、新旧制度の入れ替えで賃金が上がる社員と下がる社員が出てしまう。これは仕方のないことだが、賃金が下がってしまう社員にとっては大きな不満となるのは確実だ。
そのため、職務給の導入前後で賃金レートが大きく変わる場合は、社員のフォローが必要となる。例えば、導入当初は「調整」という名目で差額の一部を支給しながら段階的に格差をなくす方法などがある。