人間が中心だという当然の話
ICT(情報通信技術)業界は、いつも「バズワード」を提供する業界だ。おそらく「新しい概念」を提案したいのだろうが、カッコ良くてそれっぽい雰囲気の言葉が出てきては消えることの繰り返しに見える。似たようなことを違う表現で言っているに過ぎないこともよくある。
例えば、今では電化製品に「AI(人工知能)」を搭載し、色々なことをお任せするのが大流行しているように見えるが、約30年前には「ファジィ」という言葉で、今でいうAIに注目が集まったことがある。お任せ機能を搭載したファジィ洗濯機やファジィ掃除機などが登場し、なんと1990年の新語・流行語大賞では「ファジィ」が大賞を取っている。同じ頃に「ニューロ」という言葉も登場し、ニューロ・ファジィ機能搭載の電化製品も色々あった。今で言うなら、機械学習+深層学習のAI家電といったところだろうか。
今現在のバズワードの最右翼は多分「DX」だろう。デジタル・トランスフォーメーション、すなわち「デジタル変革」と呼ばれる概念だ。企業にとっての最優先課題と言われてはいるものの、そもそも「概念」なので、何がDXなのかのイメージは会社によってバラバラだ。単純なデジタル化をわざわざDXと呼ぶ会社もあれば、「デジタル化による劇的なビジネスモデル変革」をDXとしている会社もある。
デジタル化による劇的なビジネスモデル変革で引き合いに出されるのは、ストリーミング配信会社のネットフリックス。この会社は、もともとDVDレンタル事業をやっていたが、ストリーミング技術を活用してオンラインによる配信サービスを開始し、映画やドラマなどのコンテンツを家に居ながらにして返却期限なしで視聴できるようにした。この時点では単にデジタル化を実行しただけだった。
ネットフリックスの「変革」は、コンテンツ配信者からオリジナルコンテンツ製作者への大転換だ。顧客のデジタルデータを分析し、顧客が望むストーリー展開、配役などヒットの要素を突き止めたうえで、確実に当たるコンテンツをみずから製作、配信し、会員を巻き取る作戦に打って出たことが「劇的なビジネスモデル変革」となった。
どの会社もネットフリックスのような「変革」を起こしたいと考えるだろうが、中小企業や小規模会社では、現実にはそこまでいっていない。むしろ、昔作ったWebページをスマートフォンの画面対応にするとか、電話と紙の資料中心の営業活動を電子メールやタブレット端末に置き換えることが最初のデジタル化への取組みだというのが実情ではないだろうか。
今回は、中小規模や小規模の会社がデジタル化を進めていく際に忘れがちな「相手は人間」ということについて書いてみたい。どれだけデジタル化が有益でも、結局は「人間が中心」だという当然の話をしてみる。
現実のデジタル化を考える
日常生活で体験するデジタル化と、それに対する人間の素直な感情などを考えてみよう。
飲食店での注文を比較する
身近な例として、普段使うであろう飲食店での注文を比べてみる。アナログの典型として昔ながらの「そば屋」を、注文などがデジタル化されている「ファミリーレストラン」の比較で考えてみたい。
■そば屋の通し声
そば屋ののれんをくぐって「いらっしゃいませえ」と元気な声で迎えられるのは気持ちがいいものだ。しかも、注文のメニューを頼むとこれもまた元気に「ざるそば1まーい」と奥に向かって注文を通してくれる。これを「通し声」という。お客様はこの通し声を聞くと「なぜか一安心してメニューが運ばれるまで待っている」ことができる。なぜだろうか。
最初の来店歓迎の声によって、店の者は全員が「お客様が来た」ことを知らされる。店員は通常、お客様がいるときは「私語を慎む」「掃除の手を休める」といった来客対応の基本行動を教えられているのが普通。しかし、お客様が来たかどうかが分からなければ対応することができない。
「いらっしゃいませえ」は「お客様が来た」合図であると同時に店員の行動のモードチェンジを図るコマンドになっていると考えてもいいだろう。これに続く注文メニューの「ざるそば1まーい」は、実は「注文内容の確認復唱」になっている。これで注文が間違いなく伝わったことが確認できる。
また、「ざるそば1まーい」は奥の板前に対する明確な「生産指示」にもなっている。奥の板前からは「ざるそば1まーいね」という「生産開始」の合図が送られる。
お客様は「注文の確認」「生産指示」「生産開始」をリアルタイムに目と耳で確認することになる。「自分の注文が間違いなく伝わり、それが今作られている」ことが肌で分かるため、安心して待っていられるのだ。
■ファミリーレストランの受注端末
ファミリーレストランの注文受注はどうだろう。店員が受注端末を持ち、注文メニューを入力するのが普通の光景だ。店員が注文メニューを復唱してくれれば、その場では安心できるが、混雑時には復唱を省くこともある。お客様は以下のような気持ちを持つ。
- 間違いなく入力されているのか
- 入力された結果は確認されているか
- 注文メニューは厨房に伝わっているのか
デジタル技術を使った受注システムなので、これらの心配は杞憂であることは分かっている。むしろ人間がアナログでやるより正確だと頭では分かっているが、実は、そば屋の安心感はない。それが人間だともいえる。
デジタル化によってアルバイト店員でも簡単に操作でき、間違いの少ない受注システムを導入したのはいいが、これは「店員中心」の発想に見える。あと一歩「お客様中心」の発想で仕組みを作れば、もしかすると「受注のデジタル変革」が起きるかもしれない。
無人受付のモニター
経営の合理化や人件費圧縮の余波を受けて、会社の受付は受付嬢から「呼び出し用の内線電話」か「案内用のモニター」に代わりつつある。受付のデジタル化だ。
実際にそういった受付の前で観察していると良くわかるが、来客の中には、呼び出す相手の内線番号を調べるのに手間取る人、通りがかりの社員に声をかける人、せっかくの案内モニターも見ずに外線から電話をかけて来訪の旨を伝える人など、けっこう苦心する人が多い。
デジタル化によって、無人の受付システムで対応するのがいけないというわけではないが、せっかく訪ねてきたお客様に対して最初の接客が「無人モニター」というのは無機質な印象になる可能性が高い。受付は「企業の顔」といわれる。これは昔の話ではなく、今でも顔であることに変わりないし、「お客様対応」を重視するなら、デジタル全盛の今こそその重要性は増しているかもしれない。
よくご来社されるお客様の顔を記憶し、そのお客様に特化した対応は、今のところデジタル化された仕組みより人間が勝っているといえよう。デジタル化による人件費の圧縮を優先するか、人による対応のメリットを生かした手法を考えるかは、その会社の考え方次第だといえる。
デジタル化は人との融合が基本
仕事の処理スピードはどんどん速くすることを求められている。外回りの営業担当者は、いちいち会社に電話をかけて在庫を確認しなくても、手元にあるスマートフォンなどを使い、外出先から直接アクセスして在庫確認をする。これは営業業務のデジタル化の典型的な例だ。
しかしながら、デジタル化された仕組みを使って情報を確認することが営業の仕事ではない。正確な情報を知ることは重要だが、これは「本来の営業活動」の下準備にすぎない。営業の目的は、売ることと、販売機会を創出することに他ならない。
では、販売機会の創出をデジタル化で実現できるのか。そのためには人間同士のコミュニケーションが必要なはずだが、その部分をデジタル化できるのかを考えてみよう。
人は見る・聞くが大前提
前述の「通し声」「ファミレス」「無人モニター」の話に共通してあるのは「人間の感覚」というものだ。よく「五感」ということが言われるが、どんなビジネスにも共通するのが視覚と聴覚、つまり「見る」「聞く」という感覚。ほかに触覚、味覚、嗅覚もあるが、ここでは「見る」「聞く」について整理してみよう。
■見る(視覚)
人間が感知する情報の約70%はこの視覚によるものだといわれている。劇作家・演出家である竹内一郎氏が書いた『人は見た目が9割』という新書が大ヒットしたことがあるが、7割なのか9割なのかは別として、人間は見て判断するケースが多いため、見かけはとにかく重要だ。
「人を見かけで判断するな」というものの、現実には外見的な印象は人間の心に強く印象付けられるため、ここをおろそかにするのは愚かなことだと考えていいだろう。こう考えると、会社にとって「どのように見えているか」は極めて重要なことだと分かる。
■聞く(聴覚)
プレゼンテーションや交渉がうまい人を見ていると、内容は同じでも、間の取り方や「声のメリハリ」が重要であることが分かる。自信にあふれている話し方であれば、間違いなく説得力は増す。逆に自信なさげに「ボソボソ」と話すようでは、話の内容の信ぴょう性を疑われることになる。
大半の人間が見た目や話し方などで相手方を判断してしまうことを悪用し、詐欺をする者は「見せ方と話し方を徹底的に研究する」という。だまされるほうに注意力がなかったといえばそれまでだが、得てして「人間はそんなもの」だ。
そば屋で何となく安心できるのは、お店の人が目の前にいて、生きた威勢のいい声が聞こえたからだ。無人モニターを無機質に感じたるのは、その会社の人が目の前にいなかったからにすぎない。こういった人間の本質を分かってデジタル化するか否かで、結果が異なってくるのは容易に想像がつくと考える。
デジタル化に取組むとき
企業活動の合理化を促進するためのデジタル化は、今現在、Webサイトを立ち上げたり、クラウドサービスを利用することからはじまり、「Webサイトを核に顧客との双方向コミュニケーションを可能にする」など、企画・生産・営業・広報など各部署で盛んに行われている。Webサイトやクラウドサービスは、安価で素早く立ち上げることができるため、ビジネスには不可欠のでデジタル化ツールとなっている。
営業部門では、「データを収集・分析し、分析結果で見込み客と判定した者に電子メールを送るだけの営業活動」がよく見られる光景となっている。営業部門におけるデータ収集・分析は、顧客情報の収集や整理、あるいは日程管理の煩わしさを解消し、営業の実質稼働率を高めるというのが目的だ。
電子メールを使って営業をすることは悪いことではない。むしろ、大した費用もかからないことから効率的な営業といえるだろう。さらに、電子メールの活用で営業成績が上がれば何もいうことはない。しかし、実際の営業部門では、この方法では限界があることも分かっている。例えば、「高度で複雑な案件の提案」「使用方法が難しい商品やサービスの提案」といった、いわゆる『説明商材』にはほとんど通用しない。
営業活動は「販売機会を創造すること」だとすると、以下のような営業活動を電子メールだけで実行するのは極めて難しいと思うはずだ。
- 顧客の生の声を聞いて、その裏にあるニーズを探り当てる
- 顧客とのつながりを広げるため、別のキーマンの紹介を取り付ける
デジタル化された営業活動も推進しつつ、人と人とのコミュニケーションを大切にした営業活動も同時に進めるような前提で活動を合理化するのが望ましい。
人間優先で考える
冒頭に述べた今現在のバズワードである「デジタル変革」は、経営者向けセミナーも多く、業界によっては最重要の経営課題になっていると聞く。確かにデジタル化は、会社をもっと良いものにしようとするさまざまなに活動に大きく寄与するものに間違いない。
特に「デジタル変革」に期待されているのは、単なる効率化といった話ではなく、「破壊的な効率化」「劇的なビジネスモデル変革」「革新的な顧客体験」といった、今までにない世界を、デジタルによって実現しようということだ。
しかし、これまでアナログだったものをデジタル化して「変革」することが、これまでのアナログの長所を否定するものではないことはしっかりと理解しておきたい。特に相手が人間の場合はそうであるということを今回のコラムでは伝えたかった。
ビジネスの世界においては、今のデジタル技術では到底処理が不可能な情報であったり、アナログであることが大きな意味を持っていることが多々ある。これらのアナログを無視するのではなく、デジタルとアナログ双方のよい部分を融合し、ビジネスに生かすことがこれからの課題といえるだろう。