驚くべきゴア元副大統領の先見性
2020年10月、当時の菅義偉首相が「2050年を目途に、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」という所信表明をした。この”温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする”ことをカーボンニュートラルという。本気で「脱炭素社会」を実現するということだ。脱炭素社会とは、地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出量「実質ゼロ」を目指す社会のことをいう。
今や、どんなビジネスも地球規模の環境問題を避けては通れない時代になってきた。環境問題について世界で最も影響を与えた人物は、米国第45代副大統領のアル・ゴア氏だ。ゴア氏は、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)と共同で2007年にノーベル平和賞を受賞している。
ゴア氏の著書『不都合な真実』は、世界で大ベストセラーとなり、日本でも相当数が売れたという。今回は、その原点ともいうべき『地球の掟―文明と環境のバランスを求めて』について書いてみたい。原題は” THE EARTH IN THE BALANCE – Ecology and the Human Spirit ”。もちろんこちらも大ベストセラーだ。
本書は、ゴア氏が副大統領になる前の上院議員時代に執筆を行なった環境問題に関する本である。ゴア氏は、地球環境問題を自らの重要な政策課題として一貫して取り上げ、その中で地球環境問題に真摯に向き合い、継続的な調査と鋭い洞察力と分析力で本書を書き上げた。1992年出版なので、既に30年が経過しているが、その内容は今も全く色あせていない。ゴア氏の力量とその先見性にはただただ驚く他ない。環境に関する名著が少ない中、今改めて見直すべき価値のある名著であることに異論はないだろう。
ビル・クリントン元大統領が副大統領として選んだゴア氏は、アメリカ全土のコンピュータを光ケーブルなどによる高速通信回線で結ぶという構想、すなわち、「情報スーパーハイウェイ構想」でも有名である。ゴア氏は、その集大成として全米の学校と図書館をインターネットに接続させる連邦政府プログラムを成立させるなど、教育問題にも力を入れた。
その後の大統領選挙においてジョージ・W・ブッシュ元大統領と争い全米での得票数では勝っていたもののフロリダでの得票差により惜敗し、その後は表舞台にほとんど登場してこない。しかし、多くの専門家は、ゴア氏をアメリカ合衆国の歴史上、最も活動的で多大な影響力を持った副大統領の一人だと認めている。ゴア氏はその後、Apple Computerの取締役として、Googleのアドバイザーとしても活躍した。
本書は、米国では、ジョン・F・ケネディ以来はじめて現職議員が著した本で、ニューヨークタイムズのベストセラー本となった。日本での本書は、当時の衆議院議員の小杉隆氏(自由民主党)が翻訳をしている。
地球環境のバランス
25年以上にわたって地球規模の生態系が瀕している危険を理解し、どう解決すべきかを探求してきた。生態系が破壊されている現場を訪ね歩き、地球環境をも守るために人生を捧げて働いている世界中の人々とめぐり会ってきた。
ゴア氏の地球環境問題と出会いは、大学時代であった。
大学時代に地球環境の危機という考え方を初めて教えられた。ロジャー・レベル教授が実現させたハワイのマウナ・ロア火山での二酸化炭素濃度の最初の8年の測定結果より、CO2が過剰な温室効果をもたらし、地球の温暖化が進行していることを知った。以降も、マウナ・ロアのレポートに注目しているが、レベル教授が指摘した温暖化パターンは、次第に早まりつつある。レベル教授の研究は、地球の力は強力だから、我々のいかなる活動も正常な自然のシステムには大きく影響しないと教えられてきた自分の考えを根本から覆すものであった。
下院議員となった後、レベル教授の研究結果を公聴会で報告してもらう機会を得た。教授が提出した温暖化の証拠はさらに深刻さを増していたにも関わらず、物事をよくわきまえているはずの人々のこの事実に対する冷淡な反応にショックを受けた。以降も、環境問題への取り組みをする上で、あざ笑うかごとくの反応や強固な反対意見は避けては通れない道であった。
ゴア氏は、自ら地球環境問題の現場へ足を運び、精力的な調査を行なってきた。
環境危機の原因を探ろうという調査は全世界に及んだ。1990年8月にアラル海を訪れ、最初の破壊の手を目撃した。ほんの10年前までアラル海は、北米最大の湖に匹敵する世界で四番目の内陸の海だったが、今は渇ききった海底を一頭のらくだが歩いている。アラル海に注ぎ込んでいた水を、綿花を育てる灌漑用水に転用させたため、40キロメートルも沖に新しい海岸線が出来たのだ。
ブラジルのアマゾンの広大な熱帯雨林の上空には、うねるような煙の雲が空を黒く染めている。数平方キロずつ、ファーストフード用の牛肉を生産する牧草地を作るために、年間テネシー州全域に匹敵する広さの熱帯雨林が燃やされている。それは同時に、アマゾンに生息する多くの種類の鳥や生物の絶滅のスピードを上げていることを意味する。現在全世界で、動物、植物の現存種が、過去6500万年のいずれの年よりも1000倍も早く姿を消している。
ゴア氏は、環境破壊の実態をひとつひとつ考えることはもちろん必要だが、それらを系統的に分類・整理し捉えてみると、地球に対する文明の影響度が急速に大きくなっていることが見えてくると指摘する。
たとえば、水質問題、大気汚染、不法な廃棄物投棄など「局地的」な環境問題から、酸性雨、地下水脈の汚染、大量の石油流出などの「地域的」な環境問題、フロンや温暖化など「全地球的」の3つの範疇に分類することが出来る。ここで重要なことは、文明がある特定の地域だけでなく、全地球的な環境に影響を与えるまでに発展したことである。地球に対する人間の影響は、潮の干満を起こす月の引力の影響に匹敵するほどの力を身に付けつつあるのだ。
そして、ゴア氏は、問題の根本に人間の考え方があると指摘し、まずは環境問題の現実を認識し、行動を起こす必要性を訴える。
地球環境にとっても最も危険な脅威は、脅威そのものより、むしろその脅威に対する人間の考え方である。環境危機が極めて深刻であるという事実を大半の人がまだ受け入れていないのである。確かに人間が協力して環境の危機に立ち向かう上で障害となる科学的不確実性を調査することには意味がある。だからといって、行動よりまずは研究とはならないはずである。CO2や他の温室効果をもたらすガスの排出量は厖大な量に昇っており、年々の排出量も急増している。我々は、現実の混乱から目を背けることなく、行動を起こす必要がある。
地球環境問題の解決策を探るために、人間と自然の関係について見直す必要がある。やみくもな自然回帰論は、よい方法かもしれないが単細胞的な考えだ。本当の解決策は文明と地球との関係を再構築し、最終的にバランスさせることである。地球との関係を改善するためには、もちろん新しい技術も必要だが、鍵になるのはその関係そのものに対する新しい哲学なのである。
ゴア氏は、全地球的な環境問題として、人口問題、気候の問題、そして食物の問題まで鋭い視点で論じている。
食物ほど強力に人間と大地を結び付けているものはない。これまでの人類の最大の関心事は、大地から十分な収穫を得ることであった。世界中の多くの宗教において、食物を奉献するしきたりを持っていることからもそれはわかる。しかし、食物と大地の結びつきを感じながら食事をしている人がどれだけいるのであろうか?我々は、世界中の隅々からさまざまな食物をスーパーマーケットに運んでくる巨大で複雑な機構に依存している。
何世紀にもわたり人口と食料供給の割合は比較的安定し、同じ割合で成長してきた。しかし、イギリス人政治経済学者トーマス・マルサスが19世紀のはじめ、食物を産み出す自然の能力の限界を、人口増加が超えてしまう可能性を指摘した。彼の陥った誤りは、農業生産の化学における一連の技術革新を計算に入れていなかったことである。しかし、これはある種の未来を現在が前借りしている状態とも言える。
我々は種子に注目すべきである。どの種子も苗木も遺伝を制御し、遺伝子の働き方を決定し、遺伝子を組み合わせ、遺伝形質の性質を決定する細胞質とよばれるものを持っている。食料供給にとってきわめて重要なのは、病気、害虫、および気候変化という大量の破壊的要素に対する作物の遺伝的抵抗力である。遺伝的抵抗力を維持するためには、新しい細胞質を常に導入していくことが必要であり、その多くは世界中のごく少数の野生の隠れ家でしか見つからない。
バイオテクノロジーは確かに新しい栽培種を作り出し、均一性、高収穫、病気や害虫に対する先天的な抵抗力を持つという素晴らしい特質を備えている。しかし、これまで人間が実験室の中で作り出した変種は、素早く進化する自然の敵に本の数シーズンで負けるという厳しい現実がある。実は、作物の遺伝子的抵抗力は、野生に存在する新しくて逞しい遺伝子によって強化されなければならない。
現代の全ての作物は遺伝的欠陥をもっており、自然界の敵はそうした弱点に付け込む能力が極めて高いのである。一方で、殺虫剤、除草剤、防カビ剤などの助けも借りず、自然の条件下での厳しい戦いを生き抜いてきた野生の食物は、甘やかされた人工の作物にはない遺伝的抵抗力をもっているのである。
食物遺伝学者は、作物の遺伝的故郷を探し求めて這いずり回る。この遺伝的故郷は遺伝的多様性の中心地であり、ロシアの遺伝学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフを讃えて、バビロフ・センターという名前で知られている。現代農業にとって最も重要な作物の先祖の故郷でもあるこのバビロフ・センターは、世界で12地域にしかない。植物は、遺伝的多様性を失った時点で絶滅する運命が決定されてしまう。
現在、かなりの多くの食用植物が、国連の「植物遺伝資源のための国際会議」によりその危険性が最も高いとされている。その中には、リンゴ、アボガド、大麦、キャベツ、ココア、ココナッツ、コーヒー、茄子、ともろこし、米、大豆、ほうれんそう、かぼちゃ、サトウキビ、トマト、小麦などなど我々が当たり前のように食している食用植物が多く含まれる。
一方で、化学関係の多国籍企業は、種子会社などの企業買収を進めており、殺虫剤や肥料をもっと大量に受け入れられる新しい植物品種などを開発したりしている。種の連鎖による殺虫剤の恐ろしさは、レイチェル・カーソンの歴史的名著「沈黙の春」で1962年に既に、警告は発せられているはずだ。当時より13000倍も多くの殺虫剤を生産されている現実がそこにある。
ゴア氏は、経済学の観点からも環境問題について考察している。
我々が生み出した古典的経済学の最高傑作である資本主義経済体制は、共産主義に対する勝利に浮かれている場合ではない。我々は資本主義経済の欠点をも明らかにし、カイゼンしていく新しい義務を担っているのである。経済学は、非常に強力な人間の道具ではあるが、同時に人間と世界との関係をねじ曲げてしまうことも認識しておく必要がある。我々が、経済学の尺度でしか物事を捉えていないが、実はこれは我々の世界の全体的な価値の一部でしかないことを認識しなければならない。環境破壊は我々の経済学で直接的には見ることが出来ないのである。
例えば、国の経済行為の基本的な測定値であるGNP(国民総生産)を考えてみる。GNPを計算する際に、自然資源がどれだけ使われても減価償却がされない仕組みになっている。工場や建物、機械や自動車などは減価償却されるのが普通だが、例えば、アイオワ州の表土が不注意な農法によって風と雨でミシシッピー川へ流れていくことは、減価償却されないのである。何年かわたって計算すれば、穀物生産の価値以上に損失が大きくなっていくにもかかわらず、表土流出のための経費をかけない場合の方が単年度の経済報告は豊になっているとみなされる。
国外に目を向けても同様である。ある発展途上国が広大な熱帯雨林を一年で伐採する。木材の売上によって得られた収入は、その年のその国のGNPの一部として計上される。チェーンソーや丸太を運ぶトラックの消耗は、熱帯雨林におけるその年の支出として計上されるが、一方で熱帯雨林そのものの消耗は計上されない。GNPには熱帯雨林の消失という事実が反映される記入項目がないのである。しかし、この不合理な条件(GNP)にもとづいて、世界銀行やIMFや地域開発銀行などは、世界中の国々にどのような貸与や援助を行なうかを決定する。
さらに不合理なことに、悪い要素を作り出した汚染を浄化する経費は、総勘定元帳のプラスの項目にカウントされる。言葉を変えれば、公害を作り出せば出すほど、我々は全体の総生産に貢献することになるのである。ブリティッシュ・コロンビア大学の数学者であるコリン・クラークの言葉を借りれば、「我々が経済成長だと思い込んでいるものの多くは、実際には自然資本の現象を計算に入れなかったことによる幻想なのかもしれない」。
1989年には、ノルウェー首相ブルントラント女史が、この問題を「世代間の平等、すなわち持続的な開発」として唱えた。この言葉は、以降の環境問題の決まり文句とはなってきているが、今のところまだ経済的制度の在り方には影響を与えていない。
ゴア氏は、環境への対応は企業経営にとってもプラスだと述べている。
アメリカのいくつかの優秀な会社は、環境危機に対してもっと創造的に対応している。こういう会社は、環境を保護する責任を果たそうと努力をした結果、自らが汚染原因をつきとめ、それを最小限に食い止める方法を考案することが、結局高価な原材料を節約し、生産過程のほとんど全段階で効率をカイゼンすることにきがついた。例えば、3M社やゼロックス社は、公害防止計画が利益面でも非常に大きな改善をもたらしたと証言している。
ゴア氏は、地球環境問題に向き合う自らの政治哲学も明確にし、地球版マーシャルプランを提唱している。
政治は集団の意思決定と選択をなす手段である。我々は、人類の歴史上、最も困難な一連の選択を迫られている。地球環境を保護するという我々の目標は誰もが納得しており、目標はいつか達成されると考えている。既成概念や行動形式を変えることは非常に困難だが、成し遂げなければならないし、そうすることによって地球環境のバランスを保つことは決して不可能ではない。
これまで我々は、世界の熱帯雨林や生活地域が失われることを黙認してきた。成層圏のオゾン層が薄くなり、従来の気候のバランスが崩れていくことを見過ごしてきた。より深刻な環境破壊が進んでいくまえに、この流れをストップさせるべき行動を起こさなければならない。地球環境を守る努力を行動原理とするためには、原則なりうるコンセンサスを確率しなければならない。
自由な国家にはもうひとつ政治的前提条件がある。個人の権利の主張には共同体全体への義務が伴わなければならず、全ての個人がこれを認識して初めて共同体全体の行動が可能となる。すなわち、権利と義務とのバランスが重要なのである。個人の権利をあまりにも偏重し、義務を軽視しすぎたため、国家という大きな共同体に与えられた権利を守ることが出来なくなりつつある。
結局のところ、開発とはいったい何なのかを深く理解しなければならない。開発と呼ばれている行為は、富める国が発展途上国の近代化を促進する主たる手段となっている。国際的な開発プロジェクトの多くは、援助を受ける国に破壊をもたらしてきた。しかも、先進国が出資したプロジェクトが、第三世界が求めるものとの間のバランスを欠くことで、別の弊害をもたらしている例もある。
我々は、世界親模の「環境保護を行動原理とする具体的活動」を実現する必要がある。地球環境版マーシャルプランは、大規模で長期にわたり慎重に組まれた発展途上国への経済援助、貧しい国の経済的発展を支える技術の設計と移転の努力、世界人口の抑制計画、環境に対する責任ある生活スタイルを推進するための先進国による結束が盛り込まれることになる。人類の生存を保証するには、先進諸国、発展途上国のどちらにおいてもこの変革を起こさなければならない。それもあらゆる国に同時に義務を課す様な地球規模の協定を成立させる必要がある
地球環境問題の入門書
アル・ゴア氏は、環境問題を政治の人気取りのために利用すべきでないと認識している。本書でも「環境危機にもっと早くから、もっと強力にもっと効果的な解決策を提案し、その実現のために多くの政治的冒険を乗り超え、より多くの政治的批判に立ち向かうべきだったと深く後悔している。」と述べるほど、真正面から環境問題に取り組む姿勢を明確にしている。
ゴア氏がアメリカ合衆国大統領選挙に惜敗した後、アメリカ合衆国は京都議定書から離脱するなど、環境問題に取り組む姿勢も後退した。日本においても、2001年に環境省が誕生し、環境大臣も存在するが、ゴア氏ほどの資質や力量、リーダーシップがあるのかというのは、現時点では多くの面で疑問だ。
本書は、地球規模の環境問題の入門書としても豊富な内容を持っている。翻訳もしっかりしており、環境について学ぶきっかけになる本としてもおすすめだ。
目次概略
アル・ゴア著/小杉隆訳『地球の掟―文明と環境のバランスを求めて』の目次概略は以下の通り。
序章 決意への旅
第1章 砂漠の中の船団
第2章 未来が投げかける影
第3章 気候と文明の歴史
第4章 仏陀の息
第5章 井戸が涸れたら
第6章 皮一枚の厚さ
第7章 絶滅する植物種
第8章 ゴミ捨て場
第9章 自治の力
第10章 エコノミックス(生態経済学)
第11章 技術偏重時代の落とし穴
第12章 機能障害の文明
第13章 魂の環境主義
第14章 新しい共通の目標
第15章 地球環境版マーシャルプラン
終章 未来を捨てるな