市場のキーワードは少子高齢化
内閣府が公表した『令和3年版高齢社会白書』によれば、我が国の総人口は、2020年10月1日現在、1億2,571万人。そのうち65歳以上人口は、3,619万人。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は28.8%となった。20年前の2000年に17.4%だったことを考えると、急激に高齢化が進んでいることがわかる。これだけ人口構造が変わると、世の中の仕組みや雰囲気が変化するのは当然といえる。
単に、比率だけの問題だけではなく、考え方や将来に対する見方も変わってくるはずだ。少子化が進み、経済が破綻するのではないかという危惧を抱く人は少なくない。しかし、世界の歴史をひもとけば、人口が減少して、逆に経済や文化が繁栄したという中世のイタリアなどの例もある。
将来の計画を策定するにあたり、少子高齢化という事実を避けては通れない、むしろ、高齢者市場が今後は急成長するという前提で計画する必要があるだろう。
今回は作家の堺屋太一氏が書いた『高齢化大好機』という書籍から、これからの日本を考えるキッカケを提供してみたい。
学生時代、堺屋太一の著作物が大好きだった。職業作家ではなく、現役の通商産業省(現在の経済産業省)の官僚でありながら、ペンネームを使って経済小説を書いていた。書かれた小説は、その時代の風を読んで、表現するのがうまかった。私の先輩のひとりは、堺屋太一の『油断!』という小説に影響されて、通産省の官僚になったとおっしゃっていた。『高齢化大好機』は、少子高齢化社会を迎えるにあたって著者が考えるシニア社会論を展開する。
人類は、血縁社会から地縁社会、そして産業革命以来、職縁社会が到来した。世にいうサラリーマンは、職場の人間関係がすべてという人が多い。だが今、職縁社会が崩壊しつつある。次に来るものが何か。まだはっきりとわかっていない。著者は、好きなことで結びつく新しいコミュニティ、好縁社会の時代が到来するのではないかとみている。
テーマ・コミュニティ
明治以来、日本の体制と発想には、以下の5つの前提があった。これはいわば、「ヒト余り、モノ土地不足」発想である。
- 人口は増える
- 土地は足りない
- 経済は成長する
- 物価は上昇する
- 日本は島国で、貿易以外に国際競争がない
今、この前提が大きく崩れようとしている。人口が減り、経済が伸びない時代がやってくる。これまで「ヒト余り、モノ土地不足」のなかで生きてきた人々にとっては、恐ろしい時代が来るように思われるに違いない。日本の経済は慢性不況に陥り、社会は老化し文化は衰退する、という悲観論が出てくる。
しかし、人口が減少すれば、経済は衰退し文化が低下するとは限らない。むしろ、人口の増加が経済の成長を食いつぶし、設備投資や技術進歩を阻害したことのほうが多い。逆に、人類の歴史のなかでは、人口が減少して経済が拡大し、文化が発展した例はたくさんある。その典型は、15世紀のイタリアである。
フランスの人口歴史学者レイナールなどの綿密な研究によると、イタリアは、1340年の人口が930万人だったが、1500年には550万人になっていたという。160年間に4割も減ったことになる。だが、その間にこそ、あのルネッサンスの文化が花開いた。
なぜか。人口が減少すると、生産性の低い土地は耕す者がいなくなり、人々は生産性の高い場所や職種に集中するから、1人当たりの生産量は増え、所得が高まる。その結果、一般庶民にも、工芸品や美術品を購入する余裕ができた。ヴェネチアのガラス器やフィレンツェの絹織物がよく売れるようになった。イタリア各地で手工業が発達、生産量も増え品質も向上した。その製品は、海外にも輸出され、交易は盛んになった。やがて、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)などが現れ、科学が発達した。
規格大量生産型の近代工業社会をめざしたわが国は、政府も企業もマスコミも、地域社会から職縁社会への転換を急いだ。政府や学校は集団就職を促し、企業は福利施設や社宅を増やし、マスコミや経営学者は終身雇用の慣習を賞賛した。大都市には郊外団地ができ、地方は工場を誘致した。農山漁村の若者は、こぞって都市に移住し、企業に勤める自由な労働者、つまりサラリーマンになった。
かくして、日本人の多くは、職場にのみ帰属する会社人間となり、この国全体が「職縁社会」になった。とりわけ男性は、就職してから定年まで、職場職業につながる人脈だけに埋没するようになってしまった。
職場の縁以外の人と付き合うことはほとんどない。隣近所が誘い合わせてゴルフに行くとか、親類一家と連れ立ってスキーに行くなどは希有だろう。
人類はまず、「血縁社会」を作った。先祖を共にすると信じる人々が「氏族」とか「部族」と呼ばれる集団を組んで、野獣を捕ったり貝を拾ったりしながら生きていた。この時代の共同体の最大の機能は「防衛」、身の安全と血統の保全だったであろう。
やがて人類は農業を始める。いまから8000年ないし1万年も前のことである。しかし、初期の幼稚な農法では農業が可能な土地は少なく、収穫の時期も量も限られていた。そのため人々は、農業のできる土地に張り付き、それを耕すために共同体をつくった。城壁を築いて収穫と種子と生命を守り、守護神を祭って結束と期待を高め、徴税と刑罰を定めて秩序を保った。「村落共同体」が中核になる地縁社会である。
地縁社会は、古代の一時期に一部の都市で崩れたほかは、全世界でつい最近まで、数千年も続いた。しかし、18世紀末から19世紀にかけて欧米に広まった産業革命は、地縁社会(村落共同体)を崩壊させた。
職縁社会が、この10年間で揺らぎ崩れ出した。第一は、1990年代に入ってからの不況と将来不安で、終身雇用の職縁社会に参加することを拒むフリーター志向の若者が増えた。第二は、97年頃からのリストラで終身雇用神話が崩れ出したこと、第三は、2000年頃から、定年や早期退職で職縁を離れる中高年が急に増え出したことである。
では、職縁社会に代わる社会ができたかといえば、実はまだそれがない。
いま、政府も民間企業も、大学も、マスコミも、皆が考えなければいけないのは、職縁社会に代わるコミュニティ、職縁からも血縁からも離れた高齢者が心から帰属できる新しい共同体の見取り図と、そこで売れる楽しみと誇りを創ることだ。
1990年前後、地方自治体や自治省(現総務省)、文部省(現文部科学省)などが、「地域コミュニティ」という言葉を連呼し、「高齢者には地域コミュニティでのボランティア活動が適している」などと説いた。そして、そのための地域の集会を促す施設の建設に何兆円もの費用をかけた。全国に何万もの公民館を建て、何千もの多目的ホールが造られた。
しかし、地域コミュニティに人心は戻って来なかった。地縁社会で重要なのは、同じ場所で暮らすという対面性である。同じ村落で暮らせば、農民も僧侶も手工業者も運送業者も、共同体の仲間である。だが、それは、通信情報化やインターネット時代の到来とは、逆の方向だといえなくはない。
これからの時代、増加する高齢者を巻き込むコミュニティが生まれるとすれば、おそらくそれは、好みの縁でつながる「好縁社会」、つまり「テーマ・コミュニティ」の群がる世の中であろう。
一つのテーマ、それに面白みを感じて心躍らせる人々が連なる共同体。すでに旅行の会、俳句の会、各種の習い事、世直しの政治運動、社会奉仕のボランティア活動など、さまざまなテーマ・コミュニティが生まれている。これからは、それが強い帰属意識を持つ共同体へと発展する可能性がある。
視点を変えることの大切さ
少子高齢化というと、必ず「国がダメになっていく」イメージを持たされるが、堺屋太一の考え方は視点を変えてくれる。決して突飛なアイデアではなく、人類の歴史の大きな流れの中で、それに抗うことなく発展できる可能性を示してくれている。この著者は過去にも前述の『油断!』をはじめ、『団塊の世代』『知価革命』などの著書で、近未来を大胆に予測し、それが現実となっている。
人口が減り、小さな社会になれば、かえって経済力や文化が発展するという考え方が現実になるかどうかを見届けられるかどうかわからない。ただ、これからの日本の社会は過去に例のない高齢化社会になっていく。中期的にそれを避けて通れないのは誰にでも分かることだ。その社会を住み易いものにするために、人口比率の多い高齢者の役割がますます重要になっていくのは当然だろう。
シニアの役割は過去の経験と知識を若者に伝えることと言われていたが、これからはむしろ「現在の発言と行動で社会をリードする」役割と思って良いのではないか。私もすでに「シニア」な役割だし、高齢と言われるまで数年しかない。こうやってモノの見方や考え方の公開を通して、次の世代を生きる子供たちに前向きな人生を送るヒントを伝え続けたいと思う。
なお、作家・堺屋太一こと、池口小太郎さんは2019年2月に他界された。私の世代にとっては、小渕内閣や森内閣での「経済企画庁長官」のイメージが強い。また、通産官僚として1970年の大阪万博には企画から実施まで深く関わられたひとでもあるので、2025年の大阪万博を見届けたかっただろうなと思う。