投資家獲得戦略
『コトラーの資金調達マーケティング』という少し不思議な企画の本を取り上げる。 著者は、フィリップ・コトラー/ヘルマワン・カルタジャヤ/S・デイヴィッド・ヤングの3氏。共著であるのに、日本語版のタイトルは大きく「コトラーの~」と書かれている。
フィリップ・コトラー氏は、ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院の教授で、世界的に知られるマーケティングの権威である。別コラム『マーケティング10の大罪』でも取り上げたように、数々のマーケティングに関する著書があるが、資金を調達するためのマーケティングというのは、あまり聞いたことがない。
資金調達は、企業の規模を問わず、常に必要なことである。従来は、資金を調達するといえば、銀行から融資を受けるか、株式や社債を発行するくらいしかなかったが、いまはベンチャー・キャピタル、エンジェルと呼ばれる個人投資家など、資金調達方法は多様化している。手段が多様化すれば、いずれを選ぶかという評価と同時に、いかにして有利な貸し手から資金調達をするかという問題に直面せざるをえない。ここに、資金調達のためのマーケティングという考えが生まれる契機がある。一方、貸し手は、より有利な投資先を求めて、テクノロジーを発達させた。
本書は、さまざまな資金提供者の種類について解説し、投資家や貸し手の側が、競合している多くの借り手の中からどのように支援先を決めるのかを説明する。
本書のサブタイトルは「起業家、ベンチャー、中小企業のための投資家獲得戦略」となっていて、資金を必要としている企業や起業家向けにも思えるが、実は資金の提供者や、資金を効率的に運用したいと考えている投資家(個人を含む)の立場でも読むことができる。
資金調達の手段と戦略
今日、世界の資本市場の革新に伴い、考えられる資金調達手段はきわめて広範囲におよび、いまだに増え続けている。資金調達手段の一例を示そう。
- エンジェル・ファイナンス
- 資産担保貸付
- ブート・ストラッピング(自己資金)
- 顧客との企業間金融(カスタマー・ファイナンシング)
- ファクタリング(売掛債権回収保障)
- フランチャイズ
- 縁故資金
- 新規株式公開
- リース
- 個人の貯蓄
- 社債の発行
- 研究開発合資会社
- 株主割当増資
- 無担保銀行貸出
- 仕入先との企業間金融(ベンダー・ファイナンシング)
- ベンチャー・キャピタル
多くの調達手段が存在することの理由のひとつは、投資家たちが、異なる目的、能力、そして制約を持っていることである。例えば、銀行のような一部の投資家は、事業への関与が少なく、低リスクで、通常は期間の短い投資を好む。一方、エンジェルと呼ばれる投資家は、リスクが高く、事業への関与が大きい、投資の期間が中期もしくは長期の投資先を探している。
貸し手と借り手との間には、さまざまな要因があるが、企業の資金調達手段の選択に唯一最大の影響を与えているのが、その企業のライフ・サイクルにおける発展の程度、または段階であることに注目した。
例えば、創業期の企業は、市場に出回る予定の製品が期待どおりに機能するかなど、多数の不確実性を持つために、非常に高い事業リスクを抱えている。創業期の企業に投資するには、投資家は投資したもののすべてを失う可能性もある。そのため、その事業の持つすべてのリスクを理解している必要がある。
資金調達の方法は、企業の規模、成長の見通し、キャッシュ・フローとリスクに依存している。企業が成長し成熟する時、そしてリスクの特徴が変化する時、資本の調達方法も変化する。
創業して間もない企業が、成長の次の段階へ移るには、外部資本を必要とし、通常プライベート・エクイティの形を取る。プライベート・エクイティのもっとも一般的な資本提供者は、エンジェルとベンチャー・キャピタリストである。
この2つのタイプの投資家を分ける境界はあいまいであるが、大きな違いは、エンジェルは、ベンチャー・キャピタリストよりも、企業のライフ・サイクルの早い段階で投資する傾向が強いことにある。一方、エンジェルが自らの資金を投資するのに対し、ベンチャー・キャピタリストは誰かの資金を投資している。投資金額も、エンジェルが 100万ドル以上投資するのは、シンジケートを組んでいる時でも稀で、一般的には、2万 5,000ドルから25万ドルの間である。
しかし、大部分の起業家的企業は、ベンチャー・キャピタリストではなくエンジェルの資本提供により成り立っている。ある調査によると、エンジェルは毎年ベンチャー・キャピタリストの30倍から40倍、ベンチャー企業に資本を提供している。その一因として、1990年代の好況により記録的な数の裕福な投資家が生まれたことがあげられる。
必要な資本を快く提供してくれそうな人のドアを手当たり次第にノックしていたのでは効果的とはいえない。この点でマーケティングの発想が役に立つ。投資家へのアプローチをマーケティングの発想で行うのである。
企業が資金を求めている理由と、個々の資金提供者のリスク・リターンの観点に立つ基準とが一致していなければならない。ここで用いられる主要なマーケティング概念は、持続可能なマーケティング事業モデルの戦略的業務体系である 。
この戦略的業務体系は、コトラー氏が『 Repositioning Asia: From Bubble to Sustainable Economy 』で提唱しているものだ。この体系には、以下の9つの核となるマーケティングの要素がある。
- セグメンテーション
- ターゲッティング
- ポジショニング
- 差別化
- マーケティング・ミックス
- 販売活動
- ブランド
- サービス
- プロセス
セグメンテーションは、企業のマーケティング計画の最初の戦略的要素として、他のすべてのマーケティング戦略を成功に導くための土台となるものであり、企業はより効率的にマーケティングを行うことができる。
もっとも受け入れてくれそうな投資家に対して、マーケティング・ミックス(製品、価格、場所、宣伝)・プログラムの照準を合わせる。バイオテクノロジーの新興企業は、バイオテクノロジー企業に融資してきたベンチャー・キャピタルを特定してアプローチするほうが時間を無駄にしない。
その後は、どの投資家にアプローチをすべきかを決定する(ターゲッティング)。次に、投資家の心を掴むための努力を行う(ポジショニング)。ポジショニングの目標は、投資家に対して借り手企業の信用、信任、適性を確立することである。つまり信頼を築くことである。
ポジショニングの概念の開発者であるアル・ライズとジャック・トラウトは、ポジショニングの究極の成功は、顧客の心の中に言葉やフレーズを植えつけることだと言っている。例えば、ソニーは「イノベーション」、ウォルマートは「エブリデイ・ロープライス」、ボルボは「安全な車」など。資本市場に対するマーケティングにおいては、投資家の心の中に言葉を持つことが重要である。同じポジショニングのメッセージを長期間使い、保持することが成功へと導く。
- 戦略: セグメンテーション → ターゲッティング → ポジショニング
- 戦術: 差別化 → マーケティング・ミックス → 販売活動
- セグメンテーション: マッピング(測定)戦略
- ターゲッティング: フィッテイング(調整)戦略
- ポジショニング: 存在の戦略
- 差別化: コア(核)の戦術
- マーケティング・ミックス: クリエイション(創造)戦術
- 販売活動: キャプチャー(捕獲)戦術
実践前に本質を知る
資金を必要とする企業や起業家が、投資家に手当たり次第にコンタクトするのではなく、現状に一番適した資本の出所を特定し、融資をする上でのリスク・リターンの比率が高いことを投資家に納得させようと言っている。そのために、コトラー流のマーケティング理論を、いささか無理に資金調達の世界に当てはめて解説した感がなくもない。
本書で述べられている資金調達手段は、米国のものであることと、例えばクラウドファンディングのような新しい考え方が出てくる前の話なので、実際にはもっと選択肢が多くなっていて、取るべき戦略・戦術も多少のアップデートが必要だと考える。日本の場合、さまざまな政策による資金調達手段があるため、実践という意味ではリアリティに乏しいかもしれない。とはいえ、本書はコトラー氏のマーケティング理論のエッセンスと金融の本質を理解するのに役立つという、一石二鳥の効果があるように思われた。
スモールビジネスにとって、まとまった金額の資金調達はハードルが高い。どんな手段を取るにせよ、多様な選択肢の中から、できるだけ費用をかけずにベストマッチの資金調達をしたいものだ。そのために自社の価値をどのように投資家に示すかを考えようという本書の提案は役立つに違いない。
本書では、主にベンチャー企業に焦点を当てているが、資金を提供する投資家と資金を活用する企業とをうまくフィッティングさせることが成功の要因であり、両者の置かれている状況、利害得失、心理を深く理解することが重要な鍵になるとする説は、大企業の資金調達にも使えるであろう。
目次概要
フィリップ・コトラー/ヘルマワン・カルタジャヤ/S・デイヴィッド・ヤング著 森谷博之訳『コトラーの資金調達マーケティング― 起業家、ベンチャー、中小企業のための投資家獲得戦略』の目次概要は以下の通り。
第1部 概論
- 投資家や貸し手に対するマーケティング
- 資本調達
第2部 投資家と貸し手を理解する
- 初期段階の資金調達
- プライベート・エクイティ
- 貸し手
第3部 投資家と貸し手をひきつけ、確保する手段
- 戦略
- 戦術
- 価値