📓モノづくりのこころ

リーダーシップ
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花王の元社長

今回取り上げる『モノづくりのこころ』著者の常盤(ときわ)文克氏は、「花王」の元社長・元会長である。在任中から有名人であり、会長退任後の著作も多い。10冊程度は書いていると思う。一時期、MOT(技術経営:技術イノベーションの管理)が脚光を浴びていた時には、よく関連セミナーの基調講演に引っ張り出されていた。常盤氏の講演については何度か拝聴している。

花王という会社には日用品でお世話になっていることだろう。洗濯洗剤、シャンプー、石鹸、ハンドソープ、洗顔などは誰でも使っているはずだ。有名な「花王石鹸」が発売されたのは、なんと明治23年(1890年)らしい。130年前のことだ。

少し調べて驚いたのは、著者の常盤氏が6代目の社長に就任した1990年から直近2020年までの30年間の花王の成長ぶりだ。バブル崩壊やリーマンショックなどを乗り越え、1990年に時価総額7,000億円程度だった花王の2020年のそれは3兆8,000億円。会社の価値が5.4倍になっている。この30年間、株主に対する連続増配を継続しており、日本の上場企業ではNo.1だそうだ。

常盤氏は、1957年に花王に入社、1965年に理学博士号取得、1971年研究所長に就任、1990年から1997年まで同社代表取締役社長を務めた。

モノづくり一筋で生きてきた著者は、安価な労働力を武器に台頭してきた中国などの企業が、いずれは模倣段階を脱して創造段階に入り、頭脳集団が活躍する時代が到来すると警告していた。技術立国を誇る日本の製造業だが、さらに進化せねばならない。「独自の質」の追求を基本戦略として経営の根幹にすえることの重要性を説く。

そのためには教育が大事であると主張。この著作が出たころは、盛んに企業内や大学院などでMOTの講座が議論されていたが、当時の常盤氏は、競争や効率を最優先するアメリカ直輸入の考え方ではなく、日本のモノづくり文化や伝統、志やロマンといった情緒までをも取り入れた日本型MOT教育の実現を訴えていた。

つくることと売ることは一体

日本製品は、こと品質に関しては海外市場から高い評価を受けてきた。ただし、それは表面を変えただけにすぎない同工異曲の製品による横並び競争ではなかったか。多くの日本企業は、似たような仕様の枠内でより質のよいもの、ベターなものを開発してきた。決してオリジナルなものを追求する競争をしてきたわけではなかったのである。

異質の質を競うということはどんなことか。

よくサバンナの大草原は弱肉強食の世界といわれるが、強いライオンや大きなゾウだけが生き残っているわけではない。小さなネズミや野ウサギも独自に質をもって立派に生きている。何千という動物種が、必死に異質を生きることで共生している。

これからは個人も企業も、そして国家も、独自の質をもって個性ある生き方をすることが大切ではないだろうか。

この10年間、日本の多くの企業や組織は「グローバル化」という言葉におどらされて、米国モデルをベンチマークしすぎた。米国モデルは、「勝てばいい。儲かればいい。強いことは善だ」という考え方だった。しかし、エンロンやワールドコムなどで不正会計が露見し、透明性、株主重視をうたった米国流コーポレート・ガバナンス論も、すっかり底割れしてしまった。結局のところ、米国モデルは晴天型なのである。

米国モデルに陰りが出てきたことは確かだ。代わって注目されているのが、ヨーロッパ型多元主義(プルーラリズム)である。EU(欧州連合)統合を実現しながらも、欧州各国はそれぞれの文化や歴史をふまえた独自の価値観をもち、個性的で多様な道を歩んでいる。米国流の市場一辺倒に陥ることはない。欧州のシステムは、不況時をどう生きるかを考える曇天型である。

いま熱い視線をあびているのが米国発のMOTである。日本では、MOTという言葉は、次のような意味で使われている。

  1. 理工学と経営学を融合させた教育・研究の大学院修士課程プログラム
  2. 企業戦略に合致した技術戦略を立案できるエンジニアの資格
  3. 企業において技術を経営戦略に活かすことのできるマネージャー
  4. 技術を中心にした経営戦略あるいはマネジメント手法

著者自身は「MOTとは、マネジメントというテーブルの中央に技術を置いて議論すること。あるいは、技術を中心にして経営戦略を立案し、実施していくこと」と定義している。MOTは、教育機関だけの問題ではなく、企業の第一線で取り組むべき経営の実践課題である。理工版MBAにしてはならない。

日本がこれから取り組もうとしているMOTは、米国の直訳版ではなく、日本の事例も組み入れた日本型プログラムとすべきであろう。「カイゼン」や「カンバン」などのコンセプトや手法を生み出した日本の製造現場の技術をもっと信頼し、小さな個人の知を集結して大きな集団の知にしていくMOT、集団で働くことを得意とする日本的なモノづくりの伝統を生かしたMOT、あるいは技術に人の温もりを重ね合わせるMOTをめざすべきではないか。

著者が思い描くMOT人材とは、自分の専門をしっかりと持ち、なお視野も広いという人である。自分の基盤に立って横の部門とも交流できる人である。専門バカや社内評論家は、MOTを担える人材とはいえない。

わが国の職人とよばれてきた人たちの仕事に取り組む情熱、妥協なき技の追求、つくるモノに対する愛着や美意識、価値観などに象徴される彼らの生き方や哲学と、個の力を集団の力へと統合していく日本独特の経営手法を上手に結びつけたMOT教育を実現できないかと考えている。

それぞれの企業には、特有の「目に見えない力」あるいは「黙ってそこにある力」が働いていることに気づいた著者は、それを「黙の知」と名づけた。これはナレッジではなく、それを超えた、企業という集団の深層にある知・情・意を包み込んだ人の温もりのある知である。

黙の知を形成するうえでは、集団という人の集まりが持つ役割が大切である。同じ場所に身を置き、互いにふれ合い、行動をともにする。顔を見合わせて深く対話する。そのなかで、言語的な知と非言語的な知が交流し、共有しながら、相互の信頼感や仲間意識が育まれ、そこに黙の知がつくり出されていく。

集団の役割は、携帯電話やインターネットなどの情報ツールの役割とはまったく異なるものである。同じ身体空間に属する人たちが共通に感じとったもの、あるいは共有した知や経験こそが、集団内に黙の知を生む。

黙の知はマネージしようとしてもなかなかできないが、これを豊かにすることはできる。黙の知という知の土壌を肥沃にすることにより、そしてそこに問題意識があるとき、新しい知が湧いてくる。この湧き出た知が、最終的には知の果実として現実の目に見える「かたち」になっていく。

知の土壌を豊かにするには、知を愛でる企業風土をつくることである。人の温もり、仲間意識といったものを大切にすることでもある。さらにもう一つ強調しておきたいのが、知には本来囲いがないということである。

仲間内だけで知をぐるぐる回していると、ちょうど生物の同系交配のように、知(血)は次第に濁ってくる。社内での「知の交配」「知の囲い込み」は、知を劣化させてしまう。それを避けるためには、社外から異質の知を積極的に社内に取り入れ、知をつねに浄化する努力が必要である。

異質と同質のぶつかり合いは、新しい知を生み出し、同質と同質との競い合いに勝る。だから、外に向けて窓を開き、新しい風を入れ、新しい刺激を受け、社内の知につねに「揺らぎ」を起こすことが求められる。

メーカー企業のすべての活動は、T(技術)→P(製品)→M(市場)というサイクルのなかにある。このサイクルにあっては「つくることは売ることである」といえる。いかによいモノ(製品)をつくっても、売らなければお客(消費者)には届かない。売らなければつくったことにならないのである。つまり、つくることと売ることは一体なのである。

モノは、ヒトとつねに対話を繰り返している。対話というより、モノのほうから人間に語りかけてくる。

職人の世界、芸道や武道の世界では、守・破・離というプロセスが重視される。もとは江戸中期、茶道江戸千家の祖・川上不白が著した「茶話集」に点前の上達について「守は下手、破は上手、離は名人」と記したのが原典だといわれる。利休道歌に、「稽古とは一より習ひ十を知り、十よりかへるもとのその一」とあるのと、どこかでつながった考え方であろう。

守・破・離の「離」の域に達した人は、また一から始め、自分流を少しずつ改良していく道を歩むのだと考えている。

著者だから見えたもの

大企業の研究所トップから経営のトップになった著者だからこそ「見えてきたもの」があり、それをなんとか日本の発展に活かしたいという想いが感じられる。

この本に書かれている MOT(技術経営:技術イノベーションの管理) というのは、国際競争力の回復を目論む米国が発端。人材育成から始めようということで、MIT、ハーバード大学、スタンフォード大学などのビジネススクールにMOTプログラムが設置されるようになった。そこでは日本流の品質改善や「カンバン」なども学んでいた。ところが、今度は日本がそのMOTを教育に組み込もうとしている。著者の主張である「米国直訳ではなく日本で考えたもの」にすべきという話には何の違和感もない。

ただ、もし自分が理工学の大学院生の時代にMOTカリキュラムがあり、受講することを想像すると、財務諸表や、リスクとリターンの話を聞いて、頭がクラクラしていただろうと想像する。

冒頭で、常盤氏の講演を何度か拝聴していると書いた。花王の会長も退任されたあとだったと記憶している。立派な大人物なので近寄りがたい雰囲気なのかと思いきや、講演やその後の懇親会では気さくで和やかな顔を見せていた。この本もそういう著者らしく、内容の幅広さや奥深さの割に、分かりやすくて読みやすい。目の前で講演を拝聴している感覚である。

目次概略

常盤文克著『モノづくりのこころ』の目次概略は以下の通り。

  1. 独自の質をつくる
  2. 日本型MOTを考える
  3. モノづくりのこころを取りもどす
  4. 東洋思想で読み解く組織のあり方
  5. モノづくりの裾野を広げる
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