名物社長・松浦元男氏
今回取り上げるのは、ずいぶんと長いタイトルの本『先着順採用、会議自由参加で世界一の小企業をつくった』だ。世界一といえば普通は大企業なのだが、「世界一の小企業」とは最初から恐れ入る。
テレビのニュース番組や経済番組で、目に見えない「世界最小の歯車」を作った中小企業の話題を聞いたことがないだろうか。その会社の社長が、この本の著者・松浦元男氏だ。中小規模の「ものづくり」の世界では、『痛くない注射針』を作る岡野工業の岡野雅行氏と並んで有名な名物社長で、何冊もの著作物がある。
100万分の1グラムという、世界で最も微細な歯車を作るなどで、世界に知られるようになった社員90名の会社「樹研工業」は、愛知県豊橋市にある。創業したのが今回の著者である。
プラスチック部品加工を主業とするこの会社のユニークさは、その精密さを誇る製品だけではない。応募してきた社員を先着順で採用、出勤簿もなく面倒な書類もつくらず、海外の提携先とも契約書なしで仕事をする。国籍も無関係、工業高校卒や中退の社員が、職人として世界が真似のできないものを作る。
高校時代、数学なんかまるでダメだった女の子(今は2児の母)が、微分・積分の数学の問題も見事に解いたり、ほとんどの社員が英語や中国語などを話し、海外の取引先と打合せをする。
その裏には、やはり松浦社長の並みはずれた経営力と経営のカン、そして人を大事にする人柄がある。20世紀の大量消費型経済から21世紀は大きく変わるだろうと著者は予言する。日本は、最新の技術力で勝つほかない。だが、まだ十分に世界を向こうにまわして勝負できると自信を見せる。企業にとって何より大事なことは、時流を読むことだと説く。
勝ち進む企業の条件
昭和40年(1965年)、サラリーマンを辞めて、6坪の木造平屋を工場にするプラスチック成型の会社をつくった。まだ30歳だった。仕事を始めてすぐに、20歳過ぎたばかりの友人3人が、頼みもしないのに、務め先を辞めて勝手に移ってきた。給料は払えないよ、というとそれでいいという。一人は先年この世を去ったが、あとの2人はいまも健在である。出資し、励ましてくれた人たちも大勢いた。
純国産のものよりも3~4倍高い最新型のプラスチック成型機を購入、最初は農家向けの育苗鉢を作った。人気商品となったが、大手業者が参入、価格競争に敗れて撤退。その後、金型、精密部品、射出成型機の生産へと、時代とともに仕事は変化し、いまは極小部品などナノの世界に挑戦している。
現在、社員は総数90名(パート20名を含む)、年商は約30億円、極小精密部品では国内トップメーカーに成長した。韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、中国などで事業を展開している。
21世紀の技術はマイクロ化が一つの潮流になると予見していた。80年代から会社をあげて、マイクロ加工、極小部品の生産に挑戦してきた。本格的に取り組んだのは1990年ころ。最初のターゲットは腕時計の部品で、重量は千分の2~4グラム、直径4mm程度の大きさの歯車を作った。これでも当時としては驚異的な小ささだった。その後、1万分の1グラム、10万分の1グラムへと進んでいった。10万分の1グラム、直径0.245ミリを発表したときから、これまでとは異なる業界、日本だけでなく世界のあちこちから注文がくるようになった。
そして3年後には100万分の5グラムの歯車を作ろうと社内で提案したところ、責任者の河合千尋から「社長、作るなら100万分の1グラムだ」といわれ、3年後にはそのとおり100万分の1グラムという、世界最小のプラスチック歯車が完成したのだった。直径0.14ミリ、肉眼ではほとんど見えないくらい小さい。しかし、これを使うメーカーはまだ出ていない。マイクロマシン時代が始まるのはこれからである。
この100万分の1グラムの歯車を作った河合は、18歳で入社して以来、金型一筋で生きてきた。100万分の1グラムを完成した当時、36歳だった。工業高校を卒業、番長の風格をただよわせる、いかにもごつい感じのする若者だった。外見で判断すれば、とてもそんな微細な仕事ができる男には見えない。しかし、そんな外見とは裏腹に、実に鋭い感覚の持主である。
高度経済成長の時代、わが社のような零細企業に応募してくる人間なんかいなかった。そこで、応募してくれたら、とにかく一生懸命に社員全員で入社の勧誘をした。それがはじまりで、いまだに採用は先着順である。学歴も人種も問わない。誰でも平等。初任給は年齢で決まる。あとは本人の努力次第。履歴書を持ってきても、中身を見たことはない。
理由は、今までのことよりも、これから一緒にやろう、ということが大切であり、何よりも、数ある企業から当社を選んで来てくれたことへの感謝の気持ちが先に立ってしまうのである。
大企業の経営者は、ことあるごとに「若い者は個性がない」「指示をしなければ動かない指示待ち人間ばかりだ」と話す。入学試験のような入社試験と一次・二次の面接をし、結局は経営者の好きなタイプたちだけを集めて、個性がない、個性がないと嘆いているのではないか。指示されないことをやれば、どんな罰則があるのか、よく理解している人ばかりを採用している。
今の若者は、著者の世代にない鋭い感性を持っている。
高校3年間、数学はすべて最低の成績で大嫌いだったという女性がいる。しかし、入社して、コンピュータで座標を計算したり、プログラムを打ち込んだりしているうちに、すっかり数学を理解してしまった。微分や積分も、本人はそれと思わずに理解している。あるとき、おもしろ半分に、高校3年生の数Ⅲの教科書から応用問題を選び、紙に書いて彼女に渡した。加速度と微分の問題だったが、彼女はあっという間に答えを書いてしまった。おもしろがって仕事をしていると、いつのまにか苦手な数学までできてしまう。
いまの若い人たちは、著者の世代と違い、子どもの頃から育ってきた環境が違う。十分な栄養を与えられて育ち、幼い頃から耳にしてきた音楽は、8ビートや16ビートのパンチの利いた音楽で、ハーモニーも複雑。著者が懐かしがって聞くメロディーが、いまの若い人たちの心を刺激することはない。つまり感性がまるで違うのである。
彼らに必要なものは、動機、チャンス、モチベーションであり、著者の役割は、そうした環境を提供することにある。気がつくと、信じられない能力を発揮する。これがいまの若い人たちである。
樹研工業では、ほとんどの社員が英語や中国語ができる。あるとき営業部に所属する一人の女性社員が神妙な顔つきで著者の部屋に入ってきて、「英語が話せないのは私だけだから、ニューヨークの大学で、半年間の英語研修コースに行ってきたい」という。すぐに行きなさいと答えた。
英語を勉強したがっているな、とわかると、6、7万円の語学教材をだまって机の上に置いておく。本人は喜んで家に持って帰り、半年後には話せるようになっている。やる気を大切にすることがいちばんである。
20世紀は、大型消費文化の頂点を極めた時代だった。しかし、21世紀はそれは許されないと思う。著者の会社は一介の中小企業。中央から外れた、小さな下請け企業にすぎない。そこで選んだ命題は、超高精度、超精密、極小という技術の世界。加工精度の世界一を目標にしている。
企業経営に積極参加すれば、人生のロマンがそこにあり、消極参加ではただ退屈なだけである。企業経営は戦と同じく、勝ち続けなくてはならない。そこには正しい戦略が求められる。時流を正確に読みとり、次に出現してくる世を正しく予見し、ニーズを予測し準備しなければならない。
1998年当時、当社の主力取引先は、家電、弱電、電子部品各社で、売り上げの7割を超えていた。残りはカメラと時計。現在、これら主力取引先への売り上げは全体の10パーセントを切り、カメラ関係も最盛期の半分程度になった。それを埋めたのは、海外企業、国内では自動車産業などの新しい取引先だった。年商30億円程度の中小企業が、売り上げの約7割を入れ替える。
ちょっとしたミス一つで企業は破綻してしまう。時代を読み、健全な財務を育て、極限を狙う技術を持ち、そして世界の企業と取引可能な手段を備えることが、21世紀を勝ち進む企業の条件だと信じている。
こんな親分がいたのか
著者・松浦氏の本はどれも読みやすく分かりやすい。いかに人を信じて、自身の信念に従っているかが感じ取れる。会社経営者というイメージよりも、親分とか棟梁のような印象を受けるのは、私自身がいわゆる中小企業での勤務経験がないからだろうか。ただ、松浦氏は人情で仕事を進めているわけでもなく、根性を強要しているわけでもないので、親分肌と表現すべきかもしれない。
松浦氏は、若い頃から、苦労しながらも、明るく、夢を抱き、人の何倍も働いたというユニークな経歴を持つ。アルバイト先の社長が、大学へ行きたいと思っていることを知って、学費を出してくれたという。誰からも好かれた。これはすごいことだ。
豊橋に来てお世話になった恩返しに、この地で若い人たちにチャンスを与え、育てる決心をしたという。普通にできることではない。こういう人物がちゃんと成功を収めているのを知ると、まだまだこの国も捨てたもんじゃないと思う。こんな親分の下で働いてみたかった。
冒頭部分で、テレビのニュース番組や経済番組で聞いたことがないかと書いたが、例えば、テレビ東京「カブリア宮殿」、JBPressの「年功序列と確かな昇給が世界一を支える」、りくなびNEXT・Tech総研「世界一に挑む☆これが最小・最大・最速の技術だ!」など、松浦氏と樹研工業を取り上げるメディアは枚挙にいとまがない。
目次概略
松浦元男著『先着順採用、会議自由参加で世界一の小企業をつくった』の目次概略は以下の通り。
- めざしたのは世界一の極限
- 出勤簿から契約書まで書類ゼロ
- 豊橋発世界行き
- なぜ英才集団の銀行がダメになったのか
- 企業の競争相手は同業者ではない
- 企業家として最重要視していること
- たかが小企業されど小企業