最晩年の未来予測
ここまで書いたさまざまなコラムで、P.F.ドラッカー氏の言葉を引用してきた。いよいよ著作物を取り上げる。日本で大ヒットした ”もしドラ” 、すなわち『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の大元である『マネジメント』でもいいのだが、今回はドラッカー氏の未来予測本を取り上げる。ドラッカー著/上田惇生訳『ネクスト・ソサエティ ~歴史が見たことのない未来がはじまる』 だ。
ドラッカー氏は今でも日本のトップ・マネジメントと呼ばれる方々に人気がある。難解ではあるが、巨視的観点で社会を予見する。日本に対して好意的な点も、日本のトップに受ける要因なのだろう。
ドラッカー氏は、2005年11月に95歳で亡くなっている。この本は2002年のものなので、最晩年の出版物のひとつ。世の中では「IT革命」という言葉が出始めたころだ。ネクスト・ソサエティ(次の社会)がどのように経済と経営を変えるかを示した本書は、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件以前に取材・執筆されたインタビューと論文集である。
ここに書かれた人口、労働力、製造業の変化などは、日本のために書かれたのではないかと思うほど、その後の日本に当てはまっている。『2006年度版 厚生労働白書』は本書を参考としているとのことだ。
「一つひとつの組織、一人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つ」と本書で指摘する。ネクスト・ソサエティと呼ぶべき大きな時代変化が到来する。
それは、若年人口の減少であり、労働力人口の多様化、製造業の変身、企業とそのトップマネジメントの機能、構造、形態の変容である。日本では、いまなお労働力人口の1/4が製造業で働いているが、競争力を維持していくためには、2010年までにこれが1/8ないしは1/10になっていなければならない。
アメリカでは、1960年に35%だったものが、2000年には14%に低下している。しかも、この40年の間に、生産量のほうは3倍に伸ばしている。製造業労働者の減少は、知識労働者の増加をもたらす。そして、新たなタイプの知識労働者として、コンピュータ、医療、教育などの専門テクノロジストが現れてくる。しかし、知識は急速に陳腐化する。知識労働者のための継続教育がネクスト・ソサエティにおける成長産業になるであろう。
社会の変化とIT(情報技術)
ニューエコノミーと呼ばれる、IT化とグローバル化によって好況が持続される経済が、果たして実現するかどうかは不明である。だが、ネクスト・ソサエティ(異質の次の社会)がやってくることは間違いない。ニューエコノミーが論じられはじめた1990年代の半ば、急激に変化しつつあるのは経済ではなく、社会のほうであることに著者は気づいた。
ネクスト・ソサエティの重要な側面であるITは、その伝達の容易さとスピードによって、知識を瞬時に万人に伝達するという意味で、重大な影響をもたらしつつある。それでもIT革命は、ネクスト・ソサエティの要因にすぎない。人口構造の変化、とくに出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少は大きな要因になる。
IT革命が1世紀続いてきた流れの頂点をめざすのに対し、若年人口の減少は、これまでの長い増加の流れの逆転を意味し、過去に例がないものだった。逆転は他にもあった。製造業の地位である。製造業はもはや唯一の主役ではない。もう一つ前例がないものに、労働力の多様化があげられる。若年人口の減少、労働力の多様化、製造業の変身、企業とトップマネジメントの機能や構造の変容。ネクスト・ソサエティはすでに到来している。
世界三位の経済大国ドイツでは、今日、65歳超人口が全人口の1/5を占める。これが2030年には、1/2近くに急増し、現在の出生率1.3という数字に大きな変化がないかぎり、35歳未満人口の減少により、人口総数は、現在の8200万人から7300万あるいは7000万人へと減少し、就労年齢人口は今日の4000万から3000万人へと1/4減少する。このドイツの人口変化は、例外ではなく、日本はもとより、フランス、イタリア、オランダ、スウェーデン、スペイン、ポルトガルなどの先進国でも起きることである。新興国でさえ変わらない。
若年人口の減少こそ、まったく新しい現象である。いまのところ、若年人口の減少に見舞われていない先進国は、アメリカだけである。しかし、そのアメリカですら、今後30年の間に、高年人口の割合は着実に上昇していく。
労働人口の減少を補うものに移民がある。ベルリンのDIW研究所は、労働力を維持するため、ドイツは年間100万人の移民を必要とすると推計している。人口問題の権威アメリカン・エンタプライズ・インスティテュート(ワシントン)のニコラス・エーベルスタットは、「今後50年間に、日本は年間35万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐためにはその倍を必要とする」といっている(フォリン・ポリシー 2001年3-4月号)。
しかも、アメリカ以外の国には、そのような規模の移民を受け入れた経験がまったくない。アメリカが優位なのは、若年人口の数だけではなく、移民に対する文化的慣れである。
あらゆる先進国において、製造業労働者の割合は減少の一途をたどっている。100年前には、先進国においてさえ圧倒的に多くの人たちが農場で働いていた。先進国における農業の生産性の向上は1920年ころに始まった。農業従事者は、今日ではどの国でも3%以下になっている。にもかかわらず、農業生産は1920年の4倍に達している。それでも、アメリカにおいて農業がGNPに占める比率はわずか2%にすぎない。
それと同じことが製造業で起きつつある。1960年から1999年の間に、アメリカでは製造業のGNPおよび雇用に占める割合が、いずれも15%へと半減している。ところが、この間に製造業の生産量は3倍近くになった。製造業をめぐる転換は、アメリカではさしたる混乱もなく進んだ。だが、他の先進国がこの難局をアメリカのように簡単に乗り越えられるかどうかは疑問である。
この点に関してよくわからない国が日本である。日本にはいわゆる労働者階級の文化というものがない。年功序列によって、誰もが地位の昇進を期待できた。日本社会の安定は、製造業での雇用安定によって支えられた。今その雇用の安定が急速に崩れつつある。
製造業雇用が全就業者人口の1/4で、先進国では最高の水準にある。社会心理的にも、日本は製造業の地位の変化を受け入れる心構えができていない。その歴史において、新たな現実に直面し、一夜にして転換をなしとげた実績のある日本ではあるが、経済発展の主役だった製造業の地位の変化が大問題になると思われる。
製造業の地盤沈下は、労働力人口の構成にも変化を及ぼす。サービス労働という言葉が生まれたのは1920年前後だったが、いま先進国で最も急速に増加しているのは、サービス労働者ではなく、知識労働者である。アメリカでは、この知識労働者が全労働人口の1/3を越えた。工場労働者の倍である。20年後には、先進国では全労働人口の4割に達することになろう。
知識労働者にも、医師、弁護士、科学者、聖職者、教師など、大昔から存在していたような職業以外に、テクノロジストと呼ばれる新種の知識労働者が急速に増えている。X線技師、超音波技師、理学療法士、精神科ケースワーカーなどの医療テクノロジストのほか、コンピュータ、製造、教育、あるいは事務の分野でも、それぞれ専門性を持つテクノロジストが地位を固めつつある。
こうした知識労働者は、雇用形態や働き方にも大きな変化が生まれる。もはや固定的な正社員としての雇用はなくなり、企業との関係はパートナーなど同格的な存在、あるいはアウトソーシング先という地位を得ることになろう。企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化するため、企業が内部で維持することがコスト的に不利となる。知識は常時使わなければ劣化する。知識労働が外部化される要因には、コミュニケーション・コストが軽視できるほど安くなったということも指摘される。
IT革命によって手にする情報は増えたが、そのほとんどが組織内部についてのものである。組織にとって最も重要なはずの外部情報は、ほとんどの場合コンピュータを利用できるような性格のものではない。インターネットで外部の世界の情報が入手できるようになったといわれるが、それらは依然としてばらばらであり、分類もされなければ定量化もされない。今日、マネジメントは、IT革命によって、かえって必要な情報を持てなくなったとさえ言えるのである。
今日のCEOに最も必要とされるものが情報責任である。しかし、情報の問題を検討すればするほど、必要な情報つまり重要な情報は現在の情報システムでは得られないことを知ることになる。われわれは自らの組織の外の世界、市場、顧客についてあまりに知らなさすぎる。とくに流通チャネルほど早く変化するものはない。今日では、情報を持っているのは顧客のほうである。情報を持つ者が力を持つ。
社内にある情報システムは、最近流行のデータ処理を中心とする情報システムと、もう一つは昔からの会計を中心とする情報システムからなる。しかし、これらの二つのシステムは、互いに分離したままである。そして、これらの分野を率いている人たちは、情報そのものについては何も知らない。既存の情報システムは、起こったことだけで、起こりうることや起こすべきことは扱えない。必要なことは、今後一人ひとりが情報リテラシーを習得することである。コンピュータ・リテラシーはもう終わった。情報という道具の使い手にならなければならない。そのような見方ができている人はまだごくわずかだ。軍事関係者には多いが、企業にはいない。
外部で起きていることを理解するには、情報リテラシーを使わなければならない。この種の情報を多少なりとも手にしているのは、日本の大手商社だけである。彼らは外部の世界の生の情報を持っている。
ITは重要である。だが、ネクスト・ソサエティにとり、ITだけが主役ではない。ネクスト・ソサエティをネクスト・ソサエティたらしめるのは、これまでの歴史が常にそうであったように、新たな制度、理念、イデオロギー、そして「問題」なのである。
日本の古美術収集家
ドラッカーの著作のことを「広大な知の宇宙」と呼んでいた人がいたが、この本に関しては、分量も普通で、表現も平易なので読みやすい。初めてドラッカーを読むときにはお勧めの本である。
20年前の論文がベースなのに今でも得るものが多い。私たちを取り巻く環境について、近視眼的な経済環境として捉えるのではなく、高齢化、組織形態の変貌、マネージメントの変革、IT社会、eコマース、産業構造の変化、グローバル経済、NPOといった「社会の変化」の中で考え、これからの生き方についてのヒントをもたらしてくれる。
組織には3つの側面があり、ネクスト・ソサエティでは、それらをバランス良くコントロールする組織だけが生き残るという。3つのうち「人的」側面だけ重視しすぎたのが日本企業だという分析も、今でも通用する考え方だ。今の日本で起きている雇用の問題に直結している。
蛇足だが、ドラッカー氏が亡くなった2005年に、日本経済新聞の人気連載「私の履歴書」に登場し、非常に面白く読んだことを覚えている。ナチス政権下で記者として活動した経験など、本人の生い立ちの記述が中心ではあるが、大変な親日家として知られた氏が、日本のことをどうとらえていたかを垣間見ることができる。
生前のドラッカー氏は、日本の古美術を収集していたらしく、室町水墨画、近世の禅画や南画をコレクションしていたとのこと。「正気を取り戻し、世界への視野を正すために日本美術を見る」と言っていたそうだ。
ドラッカー氏のコレクションは、千葉市美術館に多くが所蔵され、最近では2019年のゴールデンウィーク前後に「ピーター・ドラッカー・コレクション水墨画名品展」が開催されている。
目次概略
P.F.ドラッカー著/上田惇生訳『ネクスト・ソサエティ ~歴史が見たことのない未来がはじまる』の目次概略は以下の通り。
- 迫り来るネクスト・ソサエティ
1.1 ネクスト・ソサエティの姿
1.2 社会を変える少子高齢化
1.3 雇用の変貌
1.4 製造業のジレンマ
1.5 企業のかたちが変わる
1.6 トップマネジメントが変わる
1.7 ネクスト・ソサエティに備えて - IT社会のゆくえ
2.1 IT革命の先に何があるか?
2.2 爆発するインターネットの世界
2.3 コンピュータ・リテラシーから情報リテラシーへ
2.4 eコマースは企業活動をどう変えるか?
2.5 ニューエコノミー、いまだ到来せず
2.6 明日のトップが果たすべき5つの課題 - ビジネス・チャンス
3.1 起業家とイノベーション
3.2 人こそビジネスの源泉
3.3 金融サービス業の危機とチャンス
3.4 資本主義を越えて - 社会か、経済か
4.1 社会の一体性をいかにして回復するか?
4.2 対峙するグローバル経済と国家
4.3 大事なのは社会だ-日本の先送り戦略の意図
4.4 NPOが都市コミュニティをもたらす