年俸制の性質と位置付け
一時期ほどではないにせよ、今でも会社の給与形態が「年俸制」というところがそこそこあるようだ。スモールビジネスを経営する場合、知っておいて損はないので、今回はこの年俸制と労働基準法の留意点について述べてみたい。
労働基準法への対応をテーマにしたため、カテゴリーを「法律への対応」としたが、実は年俸制そのものについての法律的な定義はない。 年俸制は、一般的に「成果主義型」の賃金体系だと受け止められている。
さまざまな賃金形態
「賃金の支払いの単位」には、時給制、日給制、月給制、年俸制などがあり、これらを賃金形態と呼ぶ。会社は、パートタイマー、日雇い労働者など雇用形態に合わせて賃金形態を選択しているが、いわゆる正社員に対しては月給制を採用するのが通常だ。
月給を採用している企業が圧倒的に多いが、以下に示す厚生労働省の2014年の調査では、1000人以上規模の企業における年俸制の導入率が26.4%となっている。1000人以上規模の企業の4社に1社以上が何らかの形で年俸制を導入しているということだ。
もちろん、年俸制が馴染む業種とそうでない業種がある。下表を見る限り、情報通信業や学術研究、専門・技術サービス業、金融・保険業には年俸制が馴染むということが見てとれる。
年俸制を導入する背景
会社が年俸制の導入を検討するには理由がある。当然の話だが、年俸制検討は日本企業の人事制度見直しに関係している。多くの日本企業が採用している人事制度は「年功主義」で運営される仕組みだ。これは、基本的に勤続年数の長い社員を賃金などの面で優遇する制度。こうした年功主義の人事制度を見直して能力・成果主義の人事制度を導入するするというトレンドの中で年俸制も検討されている。
能力・成果主義の人事制度とは、文字通り社員が持つ能力、達成された成果によって賃金などを決定していく仕組みだ。日本企業の人事制度の見直しの最大の理由は、年功主義が実情にそぐわなくなってきたために他ならない。
年功主義の人事制度では、基本的に社員の能力や成果よりも勤続年数などを重視して賃金などを決定する。これには社員の定着率を高めるというメリットがあるが、今の企業は、社員の長期勤務を必ずしも歓迎できない状況になってきている。例えば、多くの企業で社員の高齢化(社員の平均年齢の上昇)が起こっている。理由のひとつは以下の理由による新卒の採用難だ。
- 新たに社員を雇う体力がない
- 応募者が少ない
- 求める人材が応募してこない
いずれにしても、景気好調時のように大量の新入社員を迎え入れることは困難となってきている。こうなると、既存の社員を中心に経営を続けることになる。
年功序列の人事制度が採用されている企業では、既存社員の定着率は高い。雇用環境がそれほど良くない環境では、中高年の社員は何とかして定年まで勤め上げようと考えるはず。こうなると、社員の平均年齢は年々高まり、企業の人件費増大につながることになる。それは、勤続年数の長い社員ほど賃金が高いからだ。
会社の業績が好調で、社員高齢化に対応できる人件費枠を確保できれば何も問題ないだろう。しかし、多くの会社は余裕がない状況にあり、高齢社員に支払う賃金を負担しきれなくなってきている。このような問題に悩む企業が出した答えの一つが能力・成果主義人事制度への転換だ。
能力・成果主義人事制度では、「個々の社員が持つ能力」「数値として表われた成果」「成果を上げるために採用したプロセス」を評価して賃金の支給額を決定する。つまり、「能力が高い社員」「成果を上げた社員」「モデルとなる業務遂行方法を示した社員」などに対して、実績に応じた賃金を支払うことができる。
また、能力・成果主義の人事制度には利益によって変動する人件費の適正分配といった側面もある。会社が負担する人件費にはおのずと適正な水準があり、それは収益に応じて変動する。会社の業績が好調な時には、人件費枠は大きくなり、逆の場合は小さくなるといった具合だ。能力・成果主義の人事制度を導入した場合、その時々の人件費枠を、社員の実績に応じて分配することが比較的容易となる。
もちろん、年功序列の人事制度でもこうした運用は可能だが、ある程度の歴史のある会社では「企業業績に関係なく、勤続年数に応じて賃金が必ず上がる」と認識している社員が多いため、社員(労働組合)との意見調整が難航することが分かっている。
主義の一貫した人事制度
人事制度の見直しを図るうえで重要なのは、人事制度の運営方針を決定する「主義」に見合った各種の制度を整えること。主義とは、年功序列「主義」、結果「主義」、能力・成果「主義」であり、それぞれに明確なコンセプトがある。
仮に、企業が能力・成果主義の人事制度を導入した場合、以下のような制度を導入うることになるだろう。
- 採用:能力重視の採用活動(資格、前の企業での実績)
- 配置:能力を生かせる部課への配置(不要なジョブローテーションはしない)
- 教育:能力をさらに高めるための教育(資格取得の奨励)
- 賃金:勤続年数ではなく、能力・成果・プロセスを評価して賃金額に反映
- 退職金:ポイント制など勤続期間中の実績を評価して退職金額に反映
このように、一貫性のある人事制度でなければ「主義」を貫くことができず、運営上で矛盾が生じてしまうことになる。
年俸制と目標管理
能力・成果主義の人事制度に組み込まれるべき賃金制度は「勤続年数ではなく、能力・成果・プロセスを評価して賃金額に反映」できるものが好ましいと述べたが、これをスムーズに実現しやすいのが年俸制だ。通常、年俸制では半年あるいは1年の目標を定め、以下の内容を評価する。
- 目標の達成度合
- 目標達成のために開発した能力
- 目標達成のために行った取り組み
個々の社員ごとに目標を定め、その達成度合などをベースに評価する制度を「目標管理制度」などの名称で呼んでいる。そして、目標管理制度に基づいた人事考課の結果により年俸を決定するのが標準的。つまり、「目標管理制度」と「年俸制」はセットで導入されることが多いといえる。
年俸制が能力・成果主義の人事制度になじみやすいのは、あらかじめ設定された目標に基づいて賃金額を決定できるためだ。目標管理制度では、個々の社員は上司などとの面接によって目標を決定する。ここで設定される目標は「会社にとって望ましいもの」となる。
例えば、デジタル化を進めたい会社において、社員が掲げる目標は「デジタル化率の向上」であるのが基本であり、「事務の無駄をなくしてのコスト削減」ではない。もちろんコスト削減は非常に重要。しかし、デジタル化を進めたい企業が、コスト削減を社員の半期あるいは1年の業務目標として認めることはあり得ない。
「デジタル化率の向上」を目標に掲げた社員は、それを達成するための能力開発に努める。それはAPIエコノミーへの精通かも知れないし、データアナリストが使う「Python」や「R」といったプログラム言語の習得かもしれない。いずれにしても、これらの社員の取り組みは企業が掲げる目標に合致する。
単純に能力・成果主義といっても、そこで発揮される能力、上げられる成果は企業として掲げる目標の達成に寄与するものでなければ意味がない。そのため、企業の成長に直結するような目標を社員に掲げさせ、それを評価できる仕組みは非常に重要だといえよう。
プロ野球選手、プロサッカー選手などがよい例だ。「何勝したか、ホームランを何本打ったか」「いくつゴールを決めたか」はチームの勝利にダイレクトに貢献するものであり、それを高給で評価することは優勝を目指すチームの理屈にかなっている。
社員の目標を管理して賃金に反映することは、年俸という賃金形態でなくとも可能です。しかし、経営する側から見ると、月間ベースよりも年間ベースのほうが賃金管理が容易だ。また、細切れの期間で社員の目標達成度を評価することは難しく、社員の不満の原因ともなりかねない。
年俸制のメリット・デメリット
年俸制を導入しているのは比較的大きな企業が中心だが、スモールビジネスでも充分に活用の可能性がある。要は、これによってビジネスに大きな飛躍がもたらせられるか否かということだ。
自分のアタマで考えず、周囲の動きに翻弄されて年俸制を導入することは危険だ。実は年俸制には、目標達成に邁進するあまり、チームワークが乱れるなどのデメリットがあるのだ。個々の社員の賃金水準にほとんど格差がなく、そのことである意味の「平等感」が生まれ、強固なチームワークを発揮している会社が、大きな格差が生じるような年俸制をいきなり導入することは好ましいとはいえない。
また、年俸制はすべての職種、役職で実効的に機能する制度でないと認識しなければならない。例えば、営業担当者は「受注件数」という分かりやすい成果があるため、「年間で新規取引先を10件増やす」といった目標が立てられる。しかし、総務などいわゆる間接部門では営業のような明確な目標が立てられない。さらに、年俸制では目標達成など結果に基づいて賃金が決定する。部長職などの、業績に関する責任を負わせてもよい立場の社員なら問題ないが、新入社員にいきなり年俸制を適用するには無理がある。
実際、年俸制を導入している企業では、制度の対象となる社員を職種、役職などから決定している。これから年俸制を導入しようとする会社は、改めて「年俸制が自社になじみやすいのか」を確認することが大切だ。年俸制の主なメリット・デメリット、対策をまとめてみよう。
導入時の労働基準法対策
年俸制を導入した場合、賃金管理に関する会社側負担は少なからず軽減される。それは、業績に連動させながら、1年という長い期間で賃金を管理することができるからだ。ここでは、労働基準法を踏まえて、年俸制を導入するうえでの最低限抑えておきたいポイントを述べておく。
賃金の支払い:労働基準法第24条
労働基準法(労基法)では、賃金の支払いついて以下の5原則を定めている。5原則は、賃金形態(時給、日給、月給、年俸)に関わらず適用されるので留意が必要だ。
- 通貨払いの原則:賃金は通貨で支払わなければなならい
- 直接払いの原則:基本的に、賃金は社員に直接支払わなければならない
- 全額払いの原則:社会保険料など一部の例外を除き、賃金の全額を支払わなければならない
- 毎月1回以上払いの原則:賃金は毎月1回以上のペースで支払わなければならない
- 一定期日払いの原則:賃金は、毎月一定の期日に支払わなければならない
年俸制で留意したいのは「4. 毎月1回以上払いの原則」だ。年俸制によりあらかじめ年収が決まっていても、例えば「3カ月に1回、半年に1回、年1回」のように1カ月を超える期間をあけて賃金を支払うことはできない。そのため、実際に賃金を支払う際は、年収を12等分して毎月年収の1/12ずつ支払うなどしなければなりません。また、賞与について、以下のいずれかを選択する必要がある。
- 年俸に賞与を組み入れる
- 年俸とは別枠で支給する
別枠で支給する場合は特に問題なく、賞与の支給月に定められた額を支給すれば問題ない。一方、賞与を年俸に組み入れる場合は少し複雑になる。例えば、賞与が月給の6カ月分であれば、年収を18等分して毎月年収の1/18ずつ支払い、賞与の支給月には毎月分と合わせて4/18を支払う(年2回支給の場合)などで対応する。
時間外労働:労働基準法37条
労基法では、時間外労働に対して2割5分以上5割未満の割増賃金を支払うことを義務付けている。従って、年俸制の対象となっている社員が法定労働時間(通常は1日8時間、週40時間)を超えて労働した場合には、別途、割増賃金を支払う必要がある。
ただし、労基法41条に該当する以下の人については、時間外労働という概念が適用されないため割増賃金の支払い義務は生じない。
- 監督若しくは管理の地位にある者(管理者)
- 機密の事務を取り扱う者(秘書など)
- 監視または断続的労働に従事する者(守衛など)※
※断続的な監視の業務に従事する者については行政官庁の許可が必要
就業規則の作成・変更:労働基準法89条
常時10人以上の社員を雇用する企業は、就業規則を作成して行政官庁に届け出なければならない。これは、既存の就業規則を見直した場合も同様だ。また、就業規則には必ず記載しなければならない事項があり、例えば、賃金に関する定めはこれに該当する。
新たに年俸制を導入する場合、既存の就業規則の賃金に関する定めを見直すことになり、これを必ず行政官庁(労働基準監督署)に届け出なければならない。