危機管理専門弁護士の著書
私の記憶が間違いなければ、日本企業におけるコンプライアンス教育が導入されて20年以上が経過しているはずだ。それでも、日本企業や組織の不祥事は後を絶たない。不正会計、粉飾、横領、データ改ざん、情報漏洩、談合、賄賂、ハラスメント、詐欺、偽装、薬事法違反、PL法違反、特許侵害からお家騒動まで、とにかくこういった不祥事が報道されない月がない。各企業はコンプライアンスによる規制を強化している一方で、実際には社内に浸透していないという声も多く聞かれる。
『なぜ企業不祥事は、 なくならないのか』。今回取り上げる本のタイトルだ。本当に不思議である。
著者・國廣正氏は、企業法務を手掛ける国広総合法律事務所のパートナー弁護士。コンプライアンスや企業の不正・不祥事に関連する著作が多い。『なぜ企業不祥事は、 なくならないのか』は、そのうちの一冊だ。國廣氏は、公的職務としては内閣府、内閣官房、消費者庁の顧問を務め、複数の大手企業の社外役員にも就任している。共著者・五味祐子氏は同じ事務所のパートナー弁護士である。
企業不祥事が起こるたびに、コンプライアンス(企業倫理と法令の順守)の必要性が叫ばれる。にもかかわらず、コンプライアンスを経営に根づかせることのできる企業は少ない。なぜ、コンプライアンスはうまくいかないのか? どうすれば企業の不祥事は防止されるのか? これに対する答えを、企業法務を専門とする著者たちが、明らかにする。
著者は、日本企業に不祥事がなくならない原因として、社会的要因を考える。それは、日本的風土としてのタテマエ論、現状認識の欠如、リスク管理という発想の欠如だと指摘する。コンプライアンスをタテマエにしがちな風習を打破し、危機に立ち向かう能動的なコンプライアンスを提示して、「コンプライアンスは企業利益につながる」という将来像を示すことだと結論する。
対症療法ではなく変革を
不祥事を起こした企業のお詫びの記者会見で、社長をはじめ役員らがずらりと並んで頭を下げる。この場で出てくる言葉は、「このたびは、あってはならない事件を起こしてしまい、まことに申し訳ございません。今後は、当社においてもコンプライアンスを重視した経営を行います…」という決まり文句である。
しかし、この後に具体的な責任論や改善策が語られることはない。こういう場合に使われるコンプライアンスという言葉には、単に「ごめんなさい」程度の意味しかない。コンプライアンスをタテマエ、あるいは社会的非難を逃れるための一時しのぎのアリバイとしか考えていない証拠である。
このような背景には、社会のルール(法律)を、単なるタテマエと考えるだけで、「社会のルール」と「カイシャのルール」を場に応じて使いわける日本企業独特の風土に原因がある。かつての高度経済成長とその延長線上の時代、つまりバブル崩壊までの日本では、タテマエとホンネを上手に使い分けることがオトナの条件とされていた。法律ではなく、行政指導や政治家の調整、業界の慣習が企業社会を律していた当時にあっては、その善し悪しはおくとしても合理性があった。
法律に従うよりも、社員がオトナの行動を学習し身につけることの方が、横並びで経済成長の波に乗るために必要だったのである。このような社会環境の下では、法律の多くは単なるタテマエに過ぎず、実効性をもたなかった。官製談合が大手を振ってまかり通っていたし、公務員の接待が贈収賄になるなど考えてみる人は少なかった。
バブル崩壊後、時代は変わった。社会の劇的な変化をもたらしたのは「国際化=自由化」だった。この「国際化=自由化」は、透明性のあるルールとその厳格な適用を要求する。自由な競争を実現するためには、誰が読んでも分かる明確なルールが存在しなければならない。そして、そのルールは誰にでも平等に適用されなければならない。従来のように、行政と癒着してあうんの呼吸で行動する「オトナの関係」などという行動洋式は過去の遺物とならざるをえない。行政による不透明な事前規制の世界から、透明性のあるルール(法律)に基づいた自由競争の世界への変化。この流れは逆らうことのできない奔流である。
にもかかわらず、多くの日本企業は、日本社会のこの変化に気づいていないか、頭では分かっていても体がついてこない。つまり、これまでの行動パターンから抜け出せない企業が不祥事を引き起こす。日本企業は、バブル崩壊前に比べて質が落ち、違法行為をより多く犯すようになったから不祥事を起こしているのではない。日本社会の方がルール社会に変わったのだ。
企業危機のほとんどすべては、直接、間接に法令違反が原因で発生している。したがって、コンプライアンスに基づいた企業活動を行うことが、企業の危機の事前予防に不可欠であるのは当然である。企業がクライシスに陥った場合、法令違反はすでに発生してしまっているのだから、そこから抜け出すにはコンプライアンスは関係ないと考える向きが多い。
危機管理ビジネスが大はやりである。記者会見のシミュレーションを行い、発言する時の言葉(あってはならないこと、調査中、当局の指導に従うなど)の指導から、服装、頭の下げ方、態度に至るまで、コンサルタントから教わるが、クライシスの場面でこそ、コンプライアンスを基礎とした能動的な危機管理が必要であり、これなしに危機からの脱出はできない。しかし、このことを理解している企業は少なく、事件を起こした企業のクライシスは拡大し、最終的には火だるま状態に陥ることも稀ではない。
ほとんどの記者会見では、ひたすら謝罪が繰り返される。危機から脱するために必要なことは「事件と会社の人格を切り離す」である。不祥事とは、いわば体の中に悪性の腫瘍ができたのと同じだ。悪性腫瘍が発生してしまったのだから、摘出手術をして、元の健康体に戻ってみせることである。「悪性腫瘍と健康体を切り分けてみせること」、これこそが危機管理において最も重要なのである。危機に直面して、経営者は「違法行為は許せない」と腹の底から怒り、危機を発生させたわが社の体質を変えていくのだと本心から感じること、そして、この怒りと本心を消費者や株主などの社会に対して表現して見せることができない限り、企業は危機から脱出することはできない。
コンプライアンスがタテマエでしかない企業では、実際に事件が発生した時、不正に対する怒りは湧いてこない。それどころか、「しまった。まずいことが見つかってしまった。でも、これは会社のためを思ってのことで、あまり責められない」などとつい考えてしまう。危機になってから、急にコンプライアンスという言葉を振りかざしてみても、うまくいくはずがない。コンプライアンスという理念を欠く危機管理理論では、企業を救うことはできない。
コンプライアンスによるリスク・マネジメント実現に必要なものの第一にあげられることは、「企業には必ずリスクが存在する」という現実認識だ。リスク・マネジメントは「リスクをゼロにすること」ではない。「リスクを減少させること」+「にもかかわらずゼロにはならず存在するリスクを制御すること」、つまり「あってはならない」の精神論の対極にある企業経営の現実論なのである。
コンプライアンス体制を実効的に機能させるには、コンプライアンス部門が十分な予算を持ち、社内でも一目置かれる優秀な人物が配置され、十分な活躍の場が与えられなければならない。またコンプライアンス部門の担当者は、法律知識の量によってではなく、リスクを察知する感性によって選ぶべきだ。法律知識は役立つが、法律知識に頼りすぎるタイプの社員だと、「ダメ出しだけのコンプライアンス部門」になってしまい、解決策を示せないことになる。この結果、「ノーばかり言って何も解決策も示そうとしないコンプライアンス部門」を無視した意思決定が行われることが多くなる。
不祥事により屋台骨を揺るがす大きな衝撃を受けた日本ハムと雪印乳業の挑戦は、コンプライアンスなくして企業は存続できないことを骨身にしみて理解した企業の再生へのプロセスである。両社の改革から見えてくるのは、コンプライアンスを単なる企業不祥事対応の問題として対症療法的に考えるのではなく、企業経営自体の変革の一環と位置づける姿勢である。
対症療法では延命しかできず、生き残るには体質を変えるしかないと自覚した。不祥事を起こした企業は、えてして「モグラたたき」的対応を行いがちである。コンプライアンス経営とは、企業ブランドという資産に着目し、そこに基礎を置いた経営である。つまり、企業ブランドを生みだし、維持し、成長させる長期的な経営戦略と位置づけることができる。
人間味あふれる実務者
さすがに実務者が書いた本である。実例を元にして書いたと思われる内容がふんだんで、非常にリアルに描かれている。著者は、本気で「ちゃんと経営しろ」と思っているのであろう。また、コンプランアス担当者に必要なのは法律に対する知見ではなく、リスクを察知する感性だと明言しているのも、数多くの事案発生現場を見てきた実務者らしい意見だ。
日本人が、法律を単なるタテマエと思っている他の例としては、道路交通法があるだろう。駐車違反は「運が悪い」のであって、違反した本人が悪いのではないというのが本音ではあるまいか。
あるグローバル企業で、社内規律が、社会の法律よりはるかに厳しいという例がある。新入社員研修では、その社内規律について、まる一日かけて研修を受ける。しかし、日常のビジネスの中では、小さな社内規律違反が毎日のように起きている。
企業が新しいことに挑戦する場合、どうしても規律から逸脱する場合があるのは避けられない。法律違反を避けなければいけないのは当然だが、あまりに恐れていては、企業は現状のままでいなければならず、間違いなく息絶えることになる。
法律より社内規律が厳しいその会社は、違反が小さなものでも絶対に隠さない。隠し通せないシステムとチェックプロセスが確立しているからだ。だが、違反が発覚した場合でも、その社内規律が時代に合っているか否かという面も含めて判断を下すようになっている。モニタリングとコントロールだ。
モニタリングによって小さな不祥事や規律違反でも隠せない状況をつくることと、それらが起きたときでも、冷静に公平に判断し、コントロールする環境があれば、取り返しのつかないようなとんでもない不祥事に発展するまで放置されることはない。そういう仕組みがこのグローバル企業の発展を下支えしているのは間違いない。
リスクを「無くす」という発想ではなく、「少なくする」という発想。それでも残存リスクがあるので、次はその「ダメージを制御する」ということが大切であると考える。
国広総合法律事務所のWebサイトには、國廣正氏の「仕事に対する考え方」が記載されているので、その一部を抜粋して以下に記載する。
私は、企業を依頼者とする案件でも真の依頼者は経営者や社員その人だと思っています。危機管理でも、訴訟提起でも、「この問題にどう立ち向かうか」という悩みや決断は、「どういう企業でありたいか」「自分はこの企業でどう生きていくか」ということと不可分だからです。そこで、私は「企業の経営者・担当者と共に考えるチーム・プレー」で仕事をしています。
引用:国広総合法律事務所 弁護士紹介 國廣正
余談ですが、私は、従来型の敷居が高い「弁護士先生」というイメージを壊したいと思っており、弁護士が「先生」と呼ばれることに強い違和感を感じます。だから、依頼者には「先生と呼ばないで下さい」とお願いしています。
目次概略
國廣正/五味祐子著『なぜ企業不祥事は、なくならないのか』の目次概略は以下の通り。
- なぜ企業は危機に陥るのか
- 危機管理失敗の3つの共通点
- 実践的リスク・マネジメント論
- 危機に立ち向かう4原則
- ケース・メソッド「危機管理」
- 伸びる会社のコンプライアンス経営