📓巨象も踊る

リーダーシップ
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病んだIBMの驚きのCEO人事

『巨象も踊る』は、1980年代まで米国の象徴的な超優良企業だったIBMの再建物語だ。IBMは1990年代初頭に始まったIT業界のダウンサイジングやオープン化の大きな波にのまれ、あっという間に「病んだ巨大企業」になってしまった。世界で30万人以上の社員が働く「病んだIBM」をどうやって再建したのかについて、再建した本人自らが、ゴーストライターなどを使わず書いたという貴重な資料なのだ。

実を言うと私自身は、再生する前の、つまり病んでいるときのIBMと深く関っていた。1993年、 『巨象も踊る』 著者であるルイス・ガースナー氏が、RJRナビスコのCEOからまったく畑違いのコンピュータの巨人IBMに移ったとき、私の周辺にいたIBM関係者は例外なく驚いた。ナビスコといえばビスケット。IBMは最先端テクノロジー。IBMのCEOは、IBM出身者が就任するものと誰もが思っていた。

当時のIBMの取締役だったガースナー氏の実弟であるらしいということで、多少の納得はしたものの、果たしてコンピュータを知らない(と思われる)人物にコンピュータの会社が経営できるのか。IBMの取締役会のなかは紛糾し、ウォール街の評価も低かった。当の ルイス・ ガースナー氏も、まさか自分がコンピュータ会社の経営者になれるとは思ってもいなかったらしい。

当時のIBMは、1991年度からの3年間で150億ドルを超える赤字を出し、ジョン・エイカーズ会長は、73000人の人員整理を実行した。それでも経営はよくならず、米国の産業史上最大の赤字と報じられ、IBMの将来が危ういという批評などが多くのビジネス誌に掲載された。

しかし、ガースナー氏は10年足らずでこの病んだ巨人を見事に立ち直らせた。机にかじりついていては経営はうまくいかないというのが自分の信念だとするガースナー氏は、IBMの最高経営責任者(CEO)を務めた9年間で、飛行機の搭乗距離は150万キロを超え、数えきれないほどの顧客や提携先、社員と会った。再建での最大の困難は、伝統に凝り固まったIBMの企業文化だったという。2002年春にガースナー氏はCEOを引退した。

最終的には社員数10万人増加、株価800%上昇、情報技術サービスほかさまざまな分野で世界一に返り咲くなど、奇跡的な復活を遂げ、ガースナー氏は一躍「時の人」となる。

ガースナー氏は不思議な人で、既に世界の有名人であるにも関らず、講演など、自分のことを語る活動をほとんど行っていない。この本でも自分の経歴などにはまったくといっていいほど触れていない。

強さの源泉だった企業文化が…

成功している組織は、ほぼすべてその組織の偉大さをもたらす要因を強化する文化を確立している。この文化は、それが形成されたときの環境を反映しており、環境が変わったとき、文化を変えるのは極めて難しい。

先見性のある指導者が作った企業では、とくに困難が増幅される。企業の文化は、多くの場合、創業者の個人的価値観、信念、好みによって作られ、創業者の風変わりな部分を反映したものになりやすい。すべての組織がひとりの人間の長い影になってしまう。IBMの場合、そのひとりとはトーマス・J・ワトソン・シニアであった。

ワトソンは一代で事業を築きあげた経験に基づいて、敬意、勤勉、倫理的な行動の文化を生み出した。IBMの社員は、会社に愛情をもち、仕事に情熱をもって働いてきた。会社が社員の生活の隅々まで面倒をみるという考えができあがっていた。採用、昇進、報酬での差別をなくそうと努めてきた。

ワトソンは、このような価値観の基礎となった3つの信条を後のために残した。

  1. 個人の尊重
  2. 最善の顧客サービス
  3. 完全性の追求

の3つからなるこの信条は、組織的に制度化され、文化として築かれた。

この価値観は、長年にわたってうまく機能していた。組織は成功を収めるほど、偉大さをもたらしてきたものを、ルールの形で定着させようとする。これはよい動きになり、組織全体に広がる。しかし世界は変化する。いずれ、ルールや指針や習慣が、組織本来の任務との関連を失っていくのは避けられない。

前述の3つの信条が正しいことに議論の余地はない。しかし1993年には、この基本信条の使われ方が、1962年にトーマス・ワトソンが制定したときと大きく違っていた。

「顧客サービス」は、IBMの製品を押しつけることに変わり、「完全性の追求」は、完全性へのこだわりから、窒息しそうな文化と意思決定を遅くさせた。

中でも一番悪用されていたのが「個人の尊重」だった。個人の尊重は、ワトソンが考えていたはずのない意味をもつようになり、権利意識がはびこる一因となった。勤務成績が悪い人を解雇すれば、個人を尊重していないと批判され、十分な研修をしなかったことを咎められた。

そして何よりむずかしかったのは、この文化が、IBMとその社員の長所、優秀さ、創造性と分かちがたく結びついていることだった。これを破壊することは許しがたいことであり、少しばかり手を加えることすら考えられなかった。角を矯めて牛を殺すわけにはいかない。

IBMのCEOに就任したとき重視していたのは、戦略、分析、評価基準であった。何人か優秀な幹部を見つけられれば、過去に成功した方法で、戦略やコスト構造の改善を実行できると信じていた。まさか企業文化と真正面から取り組むことになろうとは予想していなかったのである。

企業文化を変えるということは容易なことではない。数十万人の社員の姿勢や行動を変えることができるか。ビジネス・スクールでは、その方法を教えない。

心地よい本社にいて社員から隔絶されていては、革命を率いることはできない。幹部を集めて訓示し、新しい社訓を書いて、企業文化を変えたと宣言しても何の意味もない。企業文化は命令で変えることはできない。できるのは、企業文化が変わる条件を作ることだけである。動機づけならできるし、市場の現実を示し、目標を設定することは可能だ。

しかし、その後は信頼するしかない。結局のところ、経営陣が文化を変えるわけではないのだ。経営陣は、社員にみずから文化を変えるよう導くだけである。

著者は就任直後、顧客と競争環境に関する情報が、IBMの社内にほとんどないのにショックを受けた。マーケティング情報を収集し分析する専門部署はなかった。IBMは顧客をあまりよく理解していなかったが、たったひとつ、最大限に関心を向けているものがあった。それは「社内」だった。IBMの企業文化では、組織と組織内での地位がきわめて重要だとされていた。

これに加えて、「同意拒否」(nonconcurrence)という不合理な制度が存在していた。IBMの人間は、個人的に組織の方針に同意しないとき、同意拒否宣言ができる。組織のどのレベルでも、同意拒否の爆弾を爆発できるのだから、重要な決定を下すまでにとてつもなく時間がかかる。それは、「個人の尊重」という企業文化の奇妙な変形だった。

外部の競争相手との戦いよりも、部門間の競争のほうが重要で白熱していた。ハードウエア部門が勝手に、社内のソフトウエア部門の最大のライバル会社と提携したり、研究開発部門は、開発中の技術知識が他部門に利用されることを極度に恐れた。チームワークは評価されず、求められなかった。著者自身、経営幹部に何かを依頼しても、実行されないことが少なくなかった。

それはまさに「官僚制度」に近いものだった。官僚制度というと、悪い意味で使われるのが普通だが、大企業は官僚組織がなければ動かないのも事実である。IBMで問題だったのは、官僚組織が存在していることではなく、その規模と使われ方である。

各部門が競い合い、情報を隠し合い、自分の縄張りを守るのに必死だった。各部門にそれぞれのスタッフ部署があり、会社のあらゆるレベルにきわめて強力な官僚組織ができていた。何万人ものスタッフが自部門の特権、資源、利益を守ることに汲々としていた。

就任直後、著者は上級経営幹部のひとりに、主要な赤字部門を詳細に分析した報告書を提出するよう求めた。3日後、進捗状況を尋ねたら「担当チームに聞いて、お答えします」と言う。その週の終わりにもう一度質問すると同じ答えが返ってきた。

その後にわかってきたが、経営幹部は統括するだけの立場になっていたのである。仕事を割り振り、じっと待って、終わったら検査する。著者が評価するのは、肩書にものをいわせるのではなく、細部まで詳しく調べ、日々の問題を解決し、率先垂範によって率いていく経営幹部である。結果が自らの功績であり、責任だとする姿勢をとる幹部だ。

当時の経営幹部が優秀でなかったとか、やる気がなかったとか言っているのではない。巨大で複雑なモザイクの一部になっており、このモザイクが活動と行動様式を決めていた。

まず必要になったのはプロセスの破壊だった。著者は180度の転換を図り、ルールや規定、手続き書をほぼ一掃するよう主張した。まず取り組んだのが原則の表明だった。1993年9月、IBMの新しい企業文化の基礎になる8原則を書き、メールで世界の全社員に送信した。

  1. 市場こそが、すべての行動の背景にある原動力である
  2. 当社はその核心部分で、品質を何よりも重視する技術企業である
  3. 成功度を測る基本的な指標は、顧客満足度と株主価値である
  4. 起業家的な組織として運営し、官僚主義を最小限に抑え、つねに生産性に焦点を合わせる
  5. 戦略的なビジョンを失ってはならない
  6. 緊急性の感覚をもって考え行動する
  7. 優秀で熱心な人材がチームとして協力し合う場合にすべてが実現する
  8. 当社はすべての社員が必要としているもの、事業を展開するすべての地域社会について敏感である

1994年春、著者にとって初めての上級経営幹部会議をニューヨーク州ウェストチェスター郡のホテルで開催し、世界各地から420人ほどの経営幹部を集めた。この会議には何よりも重要な目標がひとつあった。社内にではなく社外に関心と努力を集中するよう、才能ある経営幹部に促すことだった。

著者はプレゼンテーションで2つの図を示した。1つは顧客満足度、もう1つは市場シェアの図である。市場シェアの図は衝撃的だった。1985年以降、急速に成長してきた業界で、シェアを半分以上失っていた。顧客満足度の調査結果も、それと変わらぬほど気が滅入るものだった。当社は業界で11位にあり、今では姿を消している何社かにすら劣っていたのである。

この2つの図を示しながら、著者はこう説明した。「当社は市場でぶっ飛ばされているのだ。競争相手が当社の事業を奪っている。今度は当社が競争相手をぶっ飛ばす番だ。われわれは市場に乗り出して、猛烈な反撃を開始しなければならない。競争相手は、この2つの図を穴のあくほど見つめており、いつも当社をあざけっているのだ」。

著者は就任以来、文字通り何千通、何万通もの電子メールを受け取り、そのすべてを読んできた。ところが、競争相手への怒りを表明したものは、一通も思い出せない。何千通もが社内の他部門への怒りだった。

この会議の直後から変化が始まった。興奮と期待が芽生えてきたのを感じた。著者はリスクを恐れぬ勇気ある幹部を支持し、励ます必要があった。高い地位にある経営幹部が、新しい行動モデルを無視するのをCEOが許していると、企業文化を変える動きはただちに脱線する。

IBMの企業文化に計り知れない力があることは、就任直後から気づいていた。この力は今でもあり、この強みを失うことはだれも望まないはずだ。悪い部分を取り除き、良い部分を再活性化できれば、無敵の競争力の源泉になる。いま、社内は過去何年か見られなかった活気がみなぎり、意欲と熱意が充満している。新たな業界のリーダーとしての自覚が、優秀な30万人の社員の心に根づいている。

しかし、企業文化の変わらぬ特徴として、終わりはない。休みなく自己改革を続けていかねばならない。

会社再建の最高の教科書

文句無く面白い本である。企業の再生物語には秀逸な作品が多いが、それでもこの本は抜きん出ている。先述の通り、執筆にあたっては、ゴーストライターを使わず、自ら筆を執ったとのことで、さすがにライブ感がある。これほどの偉業を達成したのに、「どうだ、すごいだろう」という自慢話でもない。当事者でない者からは、まさにエンターテイメントだ。

この本が出版されてしばらくしてからだと思うが、日本経済新聞の人気連載『私の履歴書』でガースナー氏が半生記を書いていた。この本にもある「青シャツ」のエピソードと同じ内容が書かれていたので、よほど強烈な印象だったのだろう。

それはこんなエピソードだ。

ガースナー氏が初めてIBMの経営会議に臨んだ際、氏が青いシャツを着こなしていたのに対し、他の幹部全員が白のシャツを着用していたという。その次の経営会議で、今度はガースナー氏だけが白いシャツ、残りは皆、青いシャツを着て出席した。その後は、白、青、ピンクなど自由に着てくるようになった。

1993年当時、世界中のすべての国のIBM社員が「濃紺スーツ、白シャツ、赤いネクタイ」であったことは間違いない。この頃、日本法人である日本アイ・ビー・エムは六本木界隈に数多くの事業所を構えていたが、六本木周辺では、ひと目でIBM社員かそうでないのか見分けられたという。それを知る者にとっては、思わず苦笑する内容だ。

競争相手ではなく、社内だけを意識していた話は、太平洋戦争時の日本軍の逸話を思い出す。本当かどうか知らないが、その逸話では、戦争の最中だというのに軍の内部抗争に時間を費やしていて、その合間に米国と戦争していたという話だ。規模が大きくなり、力を持った組織は皆こうなるのだろうか。

物語としてだけでなく、会社再建の最高の教科書としてもお勧めの一冊だ。

目次概要

ルイス・V・ガースナー・Jr.著、山岡洋一/高遠裕子訳『巨象も踊る』の目次概要は以下の通り。

第Ⅰ部 掌握

  • 誘い
  • 発表
  • 消火栓から水を飲む
  • 現場へ
  • 強く抱きしめる作戦
  • 止血する、そしてビジョンは封印する
  • 経営チームを作る
  • 世界的企業を作る
  • ブランドを再生する
  • 報酬哲学を見直す
  • ふたたび海岸で

第Ⅱ部 戦略

  • IBM小史
  • 大きな賭
  • サービス―統合のカギ
  • 世界最大のソフトウェア事業を再構築する
  • 店を開く
  • スタックを分解して、事業の的を絞る
  • eビジネスの台頭
  • 戦略についての回顧

第Ⅲ部 企業文化

  • 企業文化
  • 裏返しの世界
  • 原則によるリーダーシップ指導

第Ⅳ部 教訓

  • 絞り込み―自分のビジネスを知り、愛しているか
  • 実行―戦略には限界がある
  • 顔が見えるリーダーシップ指導
  • 巨象は踊れないとはだれにも言わせない

第Ⅴ部 個人的な意見

  • 情報技術産業
  • 制度
  • 動きを見守る人たち
  • 企業と社会
  • IBMよさらば
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