📓はじめての金融工学

賢人に学ぶ
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金融に工学を持ち込む

仮想通貨のビットコイン(Bitcoin)は、2009年に始まり、たった数年で世界の通貨として一定のポジションを確立してしまった。仮想通貨やネットバンキング、オンライントレードなどのように金融サービスの世界に工学とIT(情報技術)を持ち込んだものを「フィンテック」と呼んでいる。フィンテックは、Finance(金融)とTechnology(技術)を組み合わせた造語だ。実は、それ以前に金融分野に工学的研究を持ち込んだ「金融工学」という分野が脚光を浴びたことがある。

金融工学を一躍有名にした理由のひとつが「ブラック=ショールズの公式」だ。この公式については、ノーベル賞の対象となったとか、金融派生商品の取引担当者はみんなこの公式を電卓で計算して仕事しているとか、その程度の知識しかなく、なるべく時間をかけないでキチンと学んでおきたいと思っていた。

金融工学というと、数理ファイナンスの難しそうな方程式がずらりと並び、とうてい歯が立ちそうもないと思っている人は少なくないと思う。「工学系の方法論を使って、株式や債権などの金融商品、あるいは実物資産などの適性な価格を算出するもの」という説明だけではよく分からないはずだ。

工学系方法論とは、統計学や確率論だといわれて、少し分かったような気はするが、具体的にどのように使われているのかは見当もつかない。数式が読めなければ理解はできないなどと、専門家に言われておじけづいてしまう。

それでも、どうしても「ブラック=ショールズの公式」の本質だけは知っておきたいと考えて手にしたのが、 真壁昭夫著『はじめての金融工学』という新書だった。著者の真壁氏は、一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行入行。ロンドン大学大学院修了。メリルリンチ社ニューヨーク本社出向、第一勧銀総研金融市場調査部長などを経て、この本の著作時には、みずほ総研主席研究員、信州大学特任教授、東証アカデミーフェロー。経歴としては「工学系」の人ではない。

著者は、この本が新書だということもあって、できるだけ数式なしでもその本質と利用がわかるようにと、説明をかなり工夫している。というのも、著者本人が書いているように、文科系出身で銀行での実務に携わるうちに、金融工学に出会ったという経験をしているため、文系でもちゃんと理解する手順を追えば必ず理解できると考えているからだ。

天候デリバティブ

金融商品や実物資産を投資目的で購入する場合、どれだけ費用がかかり、将来どれだけの収入が得られるかを考える。つまり「適正なキャッシュフローの予測」を行う。これが金融工学の第一のポイントである。

第二のポイントは、そのような予測が難しい場合、「確率論や統計学の手法を使って予測する」ということにある。確率論や統計学の重要な基礎になるなるのが「正規分布」(釣鐘形のグラフ) という概念である。金融工学では、「特定の事象の発生頻度は正規分布する」と考え、それを基礎に標準偏差などの統計学的手法を駆使する。

金融工学と呼ばれている理論にはさまざまなものがあるが、具体的には、「ブラック=ショールズ・モデル」を中心としたオプション価格を算定する理論、株式の価格算定のための理論 CAPM(Capital Asset Pricing Model)、投資理論であるMPT(Modern Portfolio Theory)などである。金融工学の中心であるオプション理論が初めて発表されたのは1970年代の前半だったが、それがノーベル経済学賞を受賞したのは1997年である。

この理論は、1970年代後半から1990年代にかけて、実務の世界で広く用いられた。金融工学の理論は、理論としてだけではなく、金融の実務と密接に結びついているところに特徴がある。たとえば、金融市場の投資家が、オプションなどの金融派生商品(デリバティブ)の価格を計算する時にも、基本的には金融工学の考え方が基礎になっている。不動産の価格計算でも、金融工学の収益還元法(将来得られると予想される収益を基礎にして、現在の不動産の価格を計算する手法)などが用いられている。

世に天候に業績が左右される企業は数多くある。電力会社やガス会社をはじめ、衣料品や食品販売、スキー場や遊園地など、拾いだせばきりがない。天候に左右される企業の儲けは、天候次第で、予測が困難である。このような不確定要因によるリスクをどのようにすれば低減できるか。金融工学的に考えた結果生まれたのが、最近話題を集めている「天候デリバティブ」といわれる金融商品である。これは、天気が予想通りにならなかった場合でも、発生する損失や不利益を前もってカバーすることを目的として作られたデリバティブの一種である。

天候デリバティブの一つの例に、東京電力と東京ガスの契約がある。両社は2001年6月に、東京都千代田区大手町の8月と9月の平均気温を対象にした天候デリバティブ契約(リスクスワップ契約)を結んだ。その契約内容は、「平均気温がセ氏25.5度を下回る(冷夏)と、東京ガスは東京電力にお金を払い、逆に平均気温が26.5度を上回る(猛暑)と、東京電力が東京ガスにお金を払う」というものである。支払う金額は、平均気温 0.1度刻みごとにおよそ 5,000万円(上限は7億円になる。これは、東京電力は冷夏だと損になり、逆に東京ガスは冷夏のほうが高収益を上げられる会社だという関係をベースにしたものである。両者が抱えている天候リスクが正反対であることから、お互いに不測の損失を補填し合おうという考えから成り立っている。

しかし、東京電力と東京ガスのような都合のよい組み合わせは、それほど多くあるものではない。そこで、リスクスワップとは違うやり方の天候デリバティブも開発されている。それは、ある一定のプレミアム(オプションの値段)を事前に払うことによって、冷夏や暖冬のように、その企業にとって都合の悪い気象状態が実現した時に、所定の金額について支払いを受けることができるという商品(天候オプション)である。この時、都合の悪い気象状態が実現しなければ、初めに払ったプレミアムだけに費用を限定することができる。最近は、天候デリバティブはますます商品が多様化しており、気温はもちろんのこと、降雪量、湿度、梅雨の期間、台風の通過コース、桜の開花時期など、数多くの指標に対して天候デリバティブが開発されている。

金融工学の代名詞のようになったのが、いわゆる「ブラック・ショールズ・モデル(BSモデル)」だ。これはオプション取引に関する価格決定の理論である。オプションを使えば、満期日の株価(原資産の価格)を見て、株式を売却(買い取りの場合もある)するか、しないかを決めることができる。もし予想した価格よりも低ければ、オプションで決めておいた価格で売ればよいし、それよりも高くなっていれば、そのまま所有しておいたほうが得だ。そのために、オプション料(プレミアム)を支払わねばならないが、それをいくらにすればよいかが問題になる。当然、将来の予想株価が関係してくるのだが、将来の株価がどう変動するかを事前に知ることはできない。

それを合理的に決める方法が、BSモデルなのである。面倒で長ったらしい方程式が並ぶが、いちばん肝心なポイントは次の式に表されている。

dS/S =μ・dt+σ・dZ

  • Sは株価
  • dSは株価の変動幅
  • μは期待成長率
  • σは標準偏差
  • dZはランダムウォーク
  • tは時間

dS/Sは、オプション期間中の株価の変動幅(値上がり・値下がり)であるdSを、元の株価 Sで割ったもの、すなわち何%株価が変化したかを示す。これを決めるのは、過去の平均値(期待収益率)μ・dtと平均値からの振れ幅(乖離)σ・dZを加えたものだということを表している。

株価は、ランダムウォーク(規則性のない変化)をするが、その変化率は基本的に正規分布になるとするのが、金融工学の発想である。正規分布であれば、標準偏差を使うことが可能になり、確率の考え方を入れて計算をすれば、ある程度妥当な価格予想ができることになる。実際のBSモデルの数式が煩雑になるのは、確率の理論を使うため、確率微分方程式を解かなければならないからである。

金融工学の基本的な発想は、金融資産の価格変化率は、きれいな釣鐘形の正規分布になるということを前提にしている。その背景には、合理的経済人(ホモ・エコノミカス)を想定する伝統的経済理論の枠組みがある。人は、短期的には間違うことはあっても、長期的に見れば、無駄をしないように行動するという考えに立っている。

しかし、近年、生身の人間は、必ずしも合理的な経済活動をとるとはかぎらず、心理状況などに大きく影響を受けるという理論が注目されるようになった。2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンとバーノン・スミス両氏の「行動ファイナンス理論」はその典型的なものである。

さらに、金融資産の価格変化率は、金融工学が前提とする正規分布にはならないという考えに立つ「経済物理」と呼ばれる理論が現れてきた。経済物理学は、まだ生まれて間もないジャンルで、金融工学や伝統的な経済学と違い、成熟した体系は作られていないが、盛んに研究が行われている新分野である。

人間の行動の予見

経済取引というのは、すべて未来に関わることである。予見できないとか、わからないではすまされない世界だ。そこで過去のデータを基に、確率の考えを入れた合理的な予測方法で解決しようとするのが金融工学である。

物理学も同じように未来の予見をすべく発展してきたが、予見の対象は自然現象であった。物理学のような「自然の振る舞い」の予見ではなく、金融工学は「人間の行動の予見」をすべく発展した。

自然科学で生まれた確率論を、人間の行動の予見に生かすには、金融商品の価格変動が正規分布でなければならない。しかし、世の中は正規分布ではないのだと考える立場が出てきて当然である。複雑系の考え方は、それに代わるものとして生まれてきた。

新書タイトルの「はじめての」にある通り、金融工学の初学者にとっては、とても読み易い本だった。そもそもの「ブラック=ショールズの公式の本質だけは知っておきたい」という目的はある程度達成できた。勉強のテクニックのひとつとして、「まずはその分野の薄い専門書を攻略して全体像をつかむ」というのがあるが、まさにそういう使い方ができると新書であった。

目次概要

真壁昭夫著『はじめての金融工学』の目次概要は以下の通り。

  1. 新しい金融派生商品・新しい考え方
  2. 金融工学はこう考える
  3. わかりやすい統計と確率の話
  4. リスクとリターンの考え方
  5. オプション価格を求める理論
  6. 金融工学の限界とそれに続く理論
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